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クトゥルフ神話TRPGを遊び始めて一年が経った

映画館で映画を見て、エンドロールをぼやけた視界で眺めている時。舞台を観劇して、カーテンコールの後に拍手をしている時。物語を読んで、最後のページを閉じた後にふと遠くを見て息を吸って吐いた時。
深い余韻と感動と共に、ああ、どうして自分はあちら側に行けないんだろう。あちら側に立ちたい、景色を見てみたいという感情が常に付き纏っていた人生だった。

幼稚園児時代から劇……何かの役として言葉を紡いで、何者かになりきることへの憧れを持ちながらも、幼稚園でも小学校でも中学校でも劇への縁がとことん無く今に至る。
今回こそは!とクラス対抗で行われる演劇発表に力を入れていた高校を選んだのに、自分が入学した年に廃止されてしまった。殺生な!

人間がとても好きだ。自分ではない誰かの生活と人生に、想いを馳せる時間が好きだ。
外を歩いている時に知らないマンションをふと見たとき。ベランダの洗濯物や鉢植え、カーテンの色や片付けそびれた季節のものなどを見て、あの部屋ひとつひとつに住んでいる人の営みがあるんだなあと想いを馳せると、世界の途方もない広さに涙が出そうになることがよくある。

電車の中や都会の人の流れの中にいると、こんなにたくさんの人がいるのに、この人たちの過去や未来に干渉することも知ることも出来ないんだとふと気付き。途方もない孤独感を抱いて、切なくなることがある。

TRPGを始めてから、自分の心の中にひとつのマンションが建った。自分の探索者たちが各々、干渉したり全くしなかったりしながら生活をしている個室の集合体が、心の中に常にある。
部屋の中は覗けない。自分が知らない人の住むマンションの中には入っていけないのと同じ。
外からベランダを覗いてみれば、自分の価値観や倫理観や死生観、癖や好きなもの、嫌いなものを少しずつ切り分けた、どこか自分に似ているところがある人間たちの生活の跡がそこにある。

経験させて頂いたセッションの数だけ、住人がそこに増えていく。セッション内でロストした探索者も何人かいるはずなのに、確かにそこにはまだ住んでいる形跡はある。
窓の外から見るだけなら、生きているのか死んでいるのかなんて分からない。


つぎはぎだらけで胸を張れることもない自分の人生の他に、誰かの人生の追体験をさせて貰えていることが本当に嬉しくて幸せで。
RPという形で、自分ではない誰かを演じて、その誰かに想いを馳せて。誰かの物語の登場人物のうちのひとりになれて。好きなものがこれでもかと体験できることが、別の誰かの視点から世界を眺められることが、途方もなく楽しい。

ダイスロールで全てが決まる。出目次第では神話生物に、他の人間に、世界に、呆気なく殺される。諸行無常にも感じるルールが、まるで人生そのもので大好きだ。
生きていくことって、そういうものだから。どんなに愛しく尊い人も死ぬ時は等しく死ぬ。理由も選べずに。

感じたことを言語化する。ときには声にならない叫びや嘆きを漏らす。言葉にならず溢れたものやあえて形にしない気持ちを行動で伝える。
自分ではない『誰か』として、なにものかに諦めずに向き合った結果、芽生えてくる言葉や思考ははどれも美しくて眩くて愛おしい。
愛であれ憎しみであれ、『誰か』として相手に向けるのはいつだって、不純物のない剥き出しの感情そのものだ。宝石にも刃物にもなる、透明な硬い質感のあるもの。

セッション中の言葉や感情のぶつけ合いは、虫が羽化する瞬間にも似ていると思う。自分という羽を持たない生き物が、探索者というひとつの意志を持った新たないのちとしての言葉を紡ぐとき、いつも身体が変化して、そこから羽が生えるような気持ちになる。
命はひとりでは生まれてこれず、関わり合う他の命とのやり取りで地上に生まれ、自我を持ち、白く柔らかい身体が固まっていく。
そうして飛び立つための羽を得る。セッションが終わった頃には、探索者はもう自分の頭や心を離れて、彼ら彼女らだけの人間関係を築き、自分とは既に他人であるひとりの人間になっている。

7歳の少女と魔法の世界に迷い込んだ日が、全ての始まり。随筆家の登山家と狂気の山脈も登頂したし、悪辣な家庭環境で育つ女子大生と初恋を知った。
宇宙人が好きな占い師と花束みたいな日々を過ごして、中華料理店の店員として幸福の手触りを確かめた。
マフィアのお嬢と世話役を翻弄したり、世界を斜めに見る女子高生と夏をカメラに収めた。関西弁の記者と不思議な家を探索したり、鬱病のインフルエンサーとずっと前の記憶を辿りながら可愛い尊厳ある死を望んだ。
人気ロックバンドのドラマーと破天荒に暴れ散らかして笑って、身体から花の咲く奇病に冒された少女と共に恋と愛を知った。
夏が大好きなギャルと夏の楽しさを探して、メイド喫茶の店員と異世界で妹の面影を求めて。刑事と現実に直面してどうにもならない己の無力感を味わった。平凡な男子高生と大切なものを守ろうと足掻いて、仕事に疲弊したOLが友人とした来世への約束を見届けた。
組織の天使と幼い眼差しで社会を俯瞰して、中学の美術教師といじめと教育について思考を巡らせた。重病人と滅びた世界を歩きながら運命の人に求婚して、アマゾンから来た野生児として杉花粉を伐採しようとして。
ハムスターを愛する秀才と怒って悩んで笑って、刑事と大好きな班員を見つめて優しさとは何か探し続けた。

今まで自分しか居らず、向き合っても一人分の返事しか返ってこなかった頭や心の内側に、沢山の魂の声が反響している。きっと確実に経験することのない立場の、職種の、価値観の人間の人生の一端に触れる。
今日でちょうど、初めてオンセを経験してから一年。TRPGを始めてから一年。一年間の中で、これだけの羽化した自分の命である探索者と出会えたこと。彼ら彼女らにとっての大切な人たちの、人生の一部にきっと居られることが、何よりも嬉しい。

他の方の探索者のものは勿論、自分の探索者のものも。透けて見える言葉や思考を愛している。
価値観に触れて、なんて素敵なんだと優しい気持ちを抱き締めたくなる。とても幸せな遊びに巡り会えたなあと思う毎日。

世界にはこんなにも真っ直ぐに優しい人がいるんだ。唯一無二の世界を持っている人がいるんだ。そう心の底から思う方々とのご縁に、沢山恵まれ続けてきた一年だった。
一年経ったんだなあ。花束みたいに抱き締めたくなる、大切な記憶でいっぱいなのは、一緒に遊んでくださる方々がいたからこそ。
思い出を共有できる方々とお話できる環境にお邪魔させて頂けたからこそ。自分の探索者の言葉や行動、感情を受け入れてくれる探索者の方と出会えたからこそ。

ベランダを眺めていたら、外を見ていた住人と目が合い、手を振ってくれるような。電車で隣の席になった知らない人と、降りる駅まで天気の話をするような。そんな奇跡のような巡り合わせが日常世界の延長上にあるんだなあと、星を見上げるような気持ちで日々実感している。

映画館で映画を見て、エンドロールをぼやけた視界で眺めている時。舞台を観劇して、カーテンコールの後に拍手をしている時。物語を読んで、最後のページを閉じた後にふと遠くを見て息を吸って吐いた時。
それらと同じ輝きの感情が、セッションを終えたあと確かにいつもそこにある。深い余韻と感動と共にある。観客席にも舞台にも、確かに自分が……自分の探索者がいる。大好きな方々がいる。

人の数だけ人生があって、人の数だけ物語がある。同じ世界、同じシナリオの中に居るはずなのに、誰ひとりとして全て同じ旅路にはならない、探索者の人生の途中に触れる。
唯一無二の、美しくて素敵な遊びだと思う。次はどんな人生の一端に触れることが出来るのだろうと、まだ見ぬ景色に想いを馳せ続ける。幸せだ。

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