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38| 紫野 阿呆の茶
旅は、〈 滋賀① 花雲水 〉〈滋賀② やまとみずと〉
〈宇治① 鳳凰と翡翠〉〈宇治②鎮めと解放〉につづいて、最終日です。
京都紫野の大徳寺と、今宮神社。
茶湯へ足を踏み入れてから、もう何度、足を運んだでしょうか。
京都へ来るたびに、ひとりで。
誰かと一緒ならば、ご案内させていただき、共に。
何度訪れても、私は言葉がなくなります。
語る言葉が見つからない。語るより先に、動いているものがたくさんある、そんな場所です。
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15年の間、お世話になったお茶の先生から、そのエピソードと共に、何度もお名前を伺っていた濱本宗俊先生。
先生が、茶道学校第一期生として京都のお家元にいらっしゃた際に、今日庵業躰の濱本先生から、ご教授を受けられていたそうです。
私たちから、その答が教本にはないような質問が出た際に、度々、「濱本宗俊先生がこう仰っていた」とお答えになることがあったので、一度もお目見えすることはかないませんでしたが、どこか、その大切な息遣いのひとかけらを、承がせて頂いていたようなきがしていました。
「とても怖くて厳しい方だった」と、先生はいつも笑いながら、小声でつけ加えていらっしゃいましたが、私にとっては、先生も同じくに。
「ほんとうの、お茶の力を(身に)つけなさい。」
15年に渡り、与えてくださったお茶との会の場と、注ぎ、伝え承いでくださった極上の厳しさには、感謝と、あい、ということしか、溢れ落ちてくるものがありません。
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利休さんが「習いなきが極意なり」と言っておられますね。これは初心の人には、子供に刀を与えたようなもので怪我人ができますが、習いに習ってそこから脱け出て、初めて味のあるお茶ができるのじゃないでしょうか。
昔、川上不白という茶人が「拙が持つて死ぬばかりなり」と言われたと。この言葉が深く印象づけられ、ひょいひょいと念頭に浮かびましてね。諾かずにはおられません。お茶の極みは人に伝えようもなく、教えようもない、自分が持って死ぬほかない、という意味でしょうが、いずれの道も結局は無師ということですね。
私は若い時に、青磁の盌が茶に適する、ということに疑問をもちまして、この一事を解くのに中之島の図書館に何回か通いました。そして、その疑問が晴れた時の喜びと、副産物を得たものです。
今の人はたしかにしあわせでしょうが、でも、こういう喜びは湧かないんじゃありませんか。あまり賢うなっては、お茶がなくなりますね。ペラペラとページを繰れば答えが出る時代は幸か不幸か、阿呆の茶に遠くなります。私共の若い頃はお茶の書物は少なくって、ともかく体当たりでしたね。
『茶の湯閑話 滴水庵 濱本宗俊 』
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