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TABIのオト

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2024年1月の記事一覧

95|ツクリカエル

**  こう、流れて、ふと、「・・・はっ!あの、ツクリカエル国、とは、日本…のことではなくて、私という国のことだったノカ・・・!!」と、ふわっと、明るくとけてゆく。 ***  ここ最近は、他国の王達からの様々なお助けや支援、彼らの治める国々の豊かさからバックアップを受けとるばかりの日々‥で、なんだか御礼参りに行きたくなり、「冬至に、熊野まで会いに行く!」  何もことばにしていないのに、「熊野までは大変だと思うから良ければ私もそっちに行くよ。」と、3時間かけてきてくれて、

90|鷺森 散歩道

 言葉で語ることの少ないFosterさんが、言葉を発し伝えてくれたこと。 でも、わたしは、このことばを聞く前も、あとも、ずっと、その信号を受けとり続けているような気がする。 いつも、まっすぐに、送り届けてくれている。  私たちの軌道は交差して、その交差は、大きなひかりを生み、グリッドにまた新たな大きな信号を送る…。 私たちは、いつも、送りあっている。  そして、そう在るときのグリッドのあり様を、私たちはきっと、理由もなく、はじめから知っていたりするのかな…と、思ったりする

89|鞍馬 black cat day dream

□ Isa's friend's Tea ceremony □black cat day dream □鞍馬  夕方、Isabelleとタクシーに乗り、鴨川に出て、そこから歩いて、鞍馬方面を広く散策する。  ほとんど食事が終わる頃、Fosterがふらりと現れて、わたしは幾つか質問をした。“Why photography, for you…? どうしてカメラを選んだの?”…のような。  そのこたえの、ほんの一部。とても繊細でやわらかな表現で、大事なところが、もうほとんど、

88|貴船 ハロー

** ***  今朝、ここ名古屋も、屋根に白く、雪が降り積もるくらいの雪。 カーテンをあけて、“雪あかり、明るいな…。” すると、すっと雲間から太陽のひかりが現れて、“うわぁ、もっと明るいな…!” また、暫くして、雪がつよく…。 ゴロンとしながら、そんなことを。

87|大田 行雲

 最後の夜は、三瓶山のみえる大田市駅近くの施設に宿泊し、翌朝ふたたび、大田の家に戻って、名古屋への帰路に。復路は、全員で、父の運転する車にて。    島根への往路、やくも号車中に忘れたポケットWi-Fiが、鳥取の米子駅に保管されているとの連絡を受けて、父が米子駅に寄ってくれた。   日本海、宍道湖傍を走り、新しくなったばかりの米子駅へ。復路の初ルートだ。 窓からみえる、雄大な伯耆大山と雲としばし併走する。  名古屋に戻り暫くしてから『しろがねの葉』を読む。  物語を描写

86|石見銀山 しろがねの森

 朝、温泉津の温泉宿に宿泊した私たちを、父が車で迎えに来る。 この日は母方の実家で過ごす予定で、「お昼の12時までに、大田の家」が、母からの厳命。 父と、私たちに与えられたフリータイムは、3時間半。    まずは、お寺の過去帳で遡れる一番古い方(※父調べ)で、宮大工の棟梁だった又兵衛さん(『63| 祝福と、ひろがり』)が手掛けられた山門を「賢さんに見てほしい」と、車で山手へ10分ほど走って願楽寺へ。 また、「この子らお茶やっているので」と、現在は非公開になっているお寺のお庭『

85|温泉津 湯の湧く湊

 大社を後にして、出雲市駅から浜田方面へと下る山陰本線に乗り、母の里の最寄りの大田市駅で、父と落ち合う。    山陰本線は、主に海岸線沿いを走るので、車窓から日本海を見下ろす。父の里は、大田市駅からさらに30分ほど西へと下る、温泉津にある。いつも帰省時に拠点とする、母の生家に顔を出してから、温泉津にある父方のお寺の法要に出席することになっていた。  以前、『8このくにの、祭りの効能』でも、温泉津のことをすこし書いている。  小学校4年生の時に父親を亡くし、それから文字通り家

84|出雲 ヤマタノオロチと白うさぎ

 満月の日の、水の都松江の朝。 宿泊したホテルを出、JR松江駅に向かって、すこし駆け足気味に歩く。 水位は目一杯まで上がり、なみなみと。  午後に両親と合流するまでのわずかな時間に、出雲大社へ。山陰本線で、大社行きバス乗換口の出雲市駅迄。 海と湖とが接近し、川が繋がりを保つ、不思議な地形。 往路に、朝陽を浴びる宍道湖を眺めるのは、はじめてかもしれない。 水は空をうつして、さらに青く、あおくひかる。  瞼を落としていると、声がかかって、顔をあげると、右手に斐伊川がみえた。

83|松江 八雲号

 岡山から、中国山地を縦断し、日本海側の出雲地方へ抜けるルートのひとつに、特急やくも号が走っている。  普段、あまり山慣れしていない人間が、平坦でない山脈を走り抜けるのは、電車に限らず、乗用車でも楽ではない。とりわけ、身体がまだ成長過程にある幼少期には、車酔いも、電車酔いもしていて、山道に差し掛かると同時に、約束事のように妹とふたり、ゲーゲー合唱をはじめていて、それは大変な帰省だったらしい。 介抱する両親もそうだったかもしれないが、多分、一番しんどかったのは、小さな当人たち