83|松江 八雲号
岡山から、中国山地を縦断し、日本海側の出雲地方へ抜けるルートのひとつに、特急やくも号が走っている。
普段、あまり山慣れしていない人間が、平坦でない山脈を走り抜けるのは、電車に限らず、乗用車でも楽ではない。とりわけ、身体がまだ成長過程にある幼少期には、車酔いも、電車酔いもしていて、山道に差し掛かると同時に、約束事のように妹とふたり、ゲーゲー合唱をはじめていて、それは大変な帰省だったらしい。
介抱する両親もそうだったかもしれないが、多分、一番しんどかったのは、小さな当人たちである。吐いても吐いても、分厚いお山は、なかなか終わらない・・・。(道行き、3時間ほど…。)
そのうちに、車でも、電車でも、“山に入った!”と同時に、目をギューッと瞑り、“ワープ!”と唱えて、“グウぅ…”と寝入る、という魔法を編み出し、多用した。“次に目を開くときには、目の前に、うみが広がっていますように…!”
こんなに単純で、ささやかな知恵でいて、これが案外、功を奏すのだ。
2023年は、旅する年。
声のかかるまま、導きのままに、軽くかるく、風のように、どこにでもひゅい〜っと出かけていった。
そのなかで、数年ぶりの島根への旅は、他とは若干の趣きを異にして、内なる準備と覚悟を必要とする、わずかな重みをもつ旅だった。
「始末を付ける」と書けば、少しギョっとするかもしれないけれど、「はじまりとおわりを揃えて、トンッと、置いてきて」と、やさしく言われているような。
例えるなら、それは、本を縦にして、本棚に、タン・トン・トンと優しく置き直してくるような作業で、その本の内容を解釈したり、ましてや本の中身を書き換えるようなことでもない。でも、いつか、そんな瞬間がくると思っていた。
そうか、いま、なんだな。行ってみよう、と。
島根は、地理的に、雲州、(出雲)、石州(石見)、隠州(隠岐)と区分することができ、わたしの両親の流れは、石見にある。
島根という場所は、素直で、うそがなく、どこか、生まれるままの、生まれたままの、かざりたても、かくしだてもない、手つかずのすがたで、いつも語りかけてくれていたような気がする。
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2016年。鹿児島県桜島の眼前にて、結婚式をあげる妹から、「披露宴で流す“生いたちムービー”をつくってほしい」と頼まれた。「音楽は何がいい?」とたずねると、「ユーミンの『やさしさに包まれたなら』。」
わたしはクスッと笑って、「そうだよね!」と。
妹は、母がわたしを連れて里帰りして、島根の大田市立病院でお産をした。
赤ん坊の頃から、島根と名古屋、異なるふたつの場所を往来しながら成長した私たちにとって、この詞は、私たちの“生いたち”そのものをうたってくれているような気がする。
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いつもの旅では、やくも号で出雲市駅まで走り抜けるところ、今回は、2016年に東京で出会い、島根つながりで仲良くなった、現在は松江在住のりかこちゃんに会うため、松江駅で下車した。
寸分の狂いなく、沈む夕陽に間に合ったのは、宍道湖畔に住むりかこちゃんが、待ち合わせの松江駅まで、車で迎えに来てくれていたから。
久しぶりに夕食を共にしながら、これまでの出逢いのすべての奇蹟と必然を、しみじみと味わい感謝した、水瓶座満月前夜。
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