100万人の信長の野望 回想録(現在進行形)*不定期更新23
激闘が終わり、しかし闘いは続く!
明智家対島津家・長宗我部家連合軍の闘いは、岡豊城落城で明智家が先手を取った。
岡豊城攻略時、明智家の主力一門の殆どの本体が四国に居た。
話はそれるが、当時は、一門本体より領主をワープさせる方法がメインであった。廃神一門は、真逆で本体は存在せず、常に最前線に砦を作り、飛ばされてはワープし砦を作り枠上して、皆合流する方法を取っていた。
それたので、その時あった、ちょっとじんわりする話
明智家の方針は、速やか九州平定し島津家を殲滅する事で有った。
明智家の各主力一門はワープし領主を九州へ送り込む一門も有れば、一門本体ごと九州へ上陸する一門も有った。
さよならチョカベ事件で名をはせてしまった、まあぼう〆一門の本隊が福知山城から四国を目指し何度も飛ばされながらも、3日おきに遥か彼方の四国迄やっとやって来てた。
まあぼう〆一門の当主まあぼう〆さんは、一門領主を引き連れてワープを駆使し最前線砦で隣接城を献上し岡豊城攻略の立役者だ。
まあぼう〆一門も、本体を九州へ上陸させようとした所、当時まあぼう〆一門の当主をしていたOさん(名前がちょくちょく変わってたのでその時の名前)とまあぼうさんのやり取りが良かった!
ま・本体も九州上陸だ
O・本当に?やっと四国迄来たのに、九州まで行って、飛ばされたらたまらないよ
ま・大丈夫だ!絶対飛ばさせないから、九州来い!
O・わかった、九州行くよ
こんな様なやり取りだった。
当時のまあぼう〆一門の献上力は凄まじく、島津家の突貫隊が献上に集中した時並みか、それ以上だったか!島津家を相手にしても、絶対に落とさせない自信が、疲れ切っていた明智家を鼓舞した。
結果的に、明智家は突貫隊を山口館に引き付け、佐土原城から九州へ上陸への見当が付いた。
前回は援軍として、今回は征服者とならんとして!
佐土原城から九州へ上陸への攻撃が始まった。島津家は九州へ上陸を阻止せんとばかりに、佐土原城を固めて来た。それは予想通りだったが、山口館の動向が気になる。
廃神一門内で、九州上陸後の戦略が練られていた。廃神一門の領主達は実は強襲が好きだった(^^♪(強襲神話は今後数期続いた。)九州上陸後小倉城が商業城なので、敢えて北上し強襲城から島津家を攻撃する事になった。強襲を得ると、まんべんなく武将を使え合戦が楽になった。(当時は領主・一門コンボ等を使っていたため)と、山口館にいる、突貫隊への牽制も有ったのだろう。
九州上陸、強襲城攻略へ!
覚悟はしていたが、思っていたより早く九州へ上陸出来た。そして廃神一門は南下せずに北上し小倉城を目指した。そして山口館はまだ島津家が占領していた。
どうなるか?山口館?
チャーシューを煮て、竹岡式ラーメンに挑戦してみました(^_-)-☆
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