100万人の信長の野望 回想録(現在進行形)*不定期更新60
終わりの始まりは些細なきっかけだった!
kzyさんが居なくなった後、自然と皆で集まって盛大に追悼しようと云う話が出て来た。
そして、次期(来期)シリーズに大友(立花)家に集合して、盛大に追悼しようと云う事になった。
勿論、私もその話の中の一人で当然参加で、はな組としても参加し久々にガッツリと削ろうと張り切っていた。
そんな中、気持ちよく家呑みでいい気分になっていた時だった、久々に公式を覗いていると、正直結構飲んでいた為、何が切っ掛けでどうなったかは殆ど忘れてしまったが、公式でヤリやった!(おぼろげながら、公式で茶化された様な?)
そして、ヤリやった相手が大友(立花)家の領主と知った私は一瞬にして、「次期、大友(立花)家には絶対行かない!」と、一方的にはな組内で宣言し、kzyさんの追悼の集まりの参加を拒否した。
内心、公式でのやり取りは皆が見ているので、はな組の各領主もどんな内容かは見た筈で、内心私は「はなさんが行かないなら、行くの止めよう」と云う言葉を期待していたが、そうでは無かった。
s35氏からは「そんな奴ほっといて、大友(立花)家で一緒にやろう」と云う言葉だった。
私は、何年も一緒に行動していた数少ない同志でも有り、相方の一人でも有るs35氏から、その様な言葉が出て来た事がさみしかった。
これまで、いろいろな事が有ったが、私ははな組の仲間の為に白い物でも黒に黒い物も白に変えて来たと云う自負があった。それは、はな組に参加している皆の事を大切に思って行っていたと云う、只の思い上がりだと結論に達するに時間は要らなかった。
今思えば、s35氏は他のはな組領主達と、kzyさんの追悼の集まりに参加したいが参加した際、何故はな太朗が居ないのか?その理由を得るために、ヘソを曲げたはな太朗にたいして参加を促して断られたと云う事実が必要だったのだろう。
はな組の皆が、大友(立花)家に参加し、私は何処かの一門に参加して大友(立花)家を狙おうと考えていた。
そんな中、私に着いて来てくれた領主が居た。
クスベさんだった。
正直、私は泣いた。
クスベさんは当時は多く語らなかったが、数年後電話でその時の話がでた際、色々話してくれた。
私は、その話を聞きながら電話越しで涙が止まらなかった。
只々、こんな我が儘な私に着いて来てくれた事に感謝しか無かった。
私は、着いて来てくれた、クスベさんと二人で、打倒大友(立花)家に気持ちを切り替えた!
後日、イチさんのお店で
イチさんにも、大体の話は伝わって居た様で、私はイチさんに改めて参加しない事を詫びた。
帰り際、私がイチさんのお店に通っている事を知っている領主も多数居るので、次期シリーズ中いらない誤解を生まない様に、次期シリーズ中はお店には来ない(行かない)とイチさんに伝え、暫しイチさんとの別れを伝えた。
結果、危惧していた誤解は生まれた!
今年の梅酒は、石垣島の泡盛「宮之鶴」で漬けました(^^♪
度数の割には、上品で飲みやすい泡盛でした(^_-)-☆
沖縄で泡盛の見慣れているからかな?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?