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100万人の信長の野望 回想録(現在進行形)*不定期更新72

今日は4月1日徳川家の聖なる日AF😊

大変久々の更新になりました。
私の良き理解者で、私の保護者のクスベさんが2021年12月11日の深夜
新たなステージへ旅立ちました。

1年以上書けなかった。(長くなっちゃった)

何時も書こうと思っていたのだが、書こうと思いnoteを起動させてもキーボードを叩く事が出来なかった。

そんな日々を過ごす中、今年に入り数年分のTVの録画データが消え、私のライフワーク❓の〇ビデオ動画コレクション約4Tが消えた(これは相当なダメージだった😭)

私の身の回りで、記録がどんどん消えていく…ましては人の記憶はさらに消えていくだろうと思い書くなら4月1日だと決めた!

このゲームを始めて、私の周りでkzyさんに続きクスベさんで2人目の旅立ちになった。

前回71を上げた後、当時コロナが少し落ち着きワクチンも2回接種した私は、クスベさんの体調次第で何時でもお見舞いに行ける準備をしていた。

そして9月末に、クスベさんと久しぶりに再会できた。
前々月の7月末に突然歩けなくなったと連絡が有り、それからベットで寝たきりとは言っていたが、上半身は起こせて正直まだまだ大丈夫と思える程元気だった。

挨拶もそこそこに、ゲームの昔話からいろんな話を数時間話し、その後合流したクスベさんの周りの方にも、私を紹介して頂いた。
(紹介して頂いた方の中には、殆どマンガの様な方もおりとんでもない話が次から次と出て来て、それもほんの一部で話のネタが尽きない方です。)

クスベさんは、周りの殆どの人のお見舞いを断っていた。
自分の弱って行く姿を見せたく無いと!
そんな中、東京からどんな奴が来るのかと奥様以外は思っていた様だが
ゲーム仲間と云っても、最初は皆さん???と訝し気だった。

その後、クスベさんの体調の良さそうな時に月2回位逢いに行った。
人生で数回しか乗った事の無い新幹線を短期間でこんなに乗るなんて思っても見なかった。

11月に入り、クスベさんは痛みに耐えられなくなり、徐々に強い痛み止めを使わざる負えなくなって行き、下旬位に酸素吸入も始まった。

ただ、電話では話せたので以前より電話の回数が増えたが、以前の様な長電話は出来なくなっていた。(以前は平気で数時間話していた)

そんな中11月末での電話で、クスベさん本人も痛み止めの影響を痛感しており、まだ話せる内にと12月の第2週の水曜日に行く事になった。

クスベさんに逢いに行く、その前日の火曜日のお昼頃だった、
北千住で電車を待っている時に、クスベさんから電話が有った。

ほんの数日空いただけなのに声が霞み、私も駅のホームに居たのではっきりと聞き取れなかった、結果それが最後の会話になってしまった。

翌日、新幹線に乗り昼過ぎにクスベさん宅にお邪魔するが、痛み止めの影響で意識が朦朧としていた。

私に気が付き、一瞬目を見開いて口を動かすが殆ど聞き取れない。
もう、2人に会話は要らない。だた私はクスベさんが寝てるベットの横で
奥様と2人で見守る。

数時間が経ち、クスベさんの周りの方々がお見えになり、私は離席し周りの方々と食事に行った。

以前もクスベさん宅に行く度に、ご飯を食べさせて頂いていたが、今回は雰囲気が違った。

飲みながら食べながらの会話の中で
ここ数日で、一気に体調が悪くなった様だ。

「はなちゃんを待ってたんだよ」

周りの方々の1人が云った。

私は、クスベさんとのゲームだけでなく、いろんな話や毎年必ず数回お逢いした思い出が頭の中を駆け巡り、目から涙がこぼれていた。

そんな私を茶化しながら、食事が終わりホテルに帰る前に、もう一度クスベさん宅に伺った。
クスベさんは、健やかに寝ていた。

私は、奥様に明日帰る前にまた来る事を伝え、ホテルに戻った。

翌日、11時位にクスベさん宅にお邪魔したが、クスベさんは寝ていた。

私は、お邪魔だとは感じていたが、新幹線の時間迄数時間
その場を離れる事は出来なかった。

帰り際に、奥様にもしもの時は連絡をくれる様に頼み、奥様も了承してくれた。

そして、その週の土曜日のお昼位に、マンガの様な方から電話が有り
もう長くないとの事だった。

そして午後に奥様からもメールが入った。
主治医から、今日明日との事だった。

奥様からメールのを見て、会社に事情を話し日曜を休む旨を伝え
仕事終業後、新幹線で向かった。

23時過ぎ位にクスベさん宅に着いた。

間に合ったが、深い呼吸音だけが室内に流れた。

奥様と2人で、クスベさんを見守り続けた。

奥様が一瞬、一瞬台所に離れた時だった、私は奥さんを呼んだ
いや叫んだと云う位呼んだ。

クスベさんは、静かに旅立った。

正直やるせなかった、何で私が最後を見送ってしまったのだろうかと?
何で、奥様の居ないタイミングでと!

後日、何かの拍子に理解した。

最後の最後迄、カッコつけたのかな?と
奥様に最後の姿を見せたく無かったのかなと?

その後、奥様は主治医や近しい方への連絡に追われ、私はイチさんに連絡をした。

イチさんはクスベさんの状況を知っていた唯一のゲーム仲間だった。
当然、クスベさんの近況は伝えていて、もしもの時は連絡する事になっていた。

私の着信を見て、イチさんは直ぐに事情を悟った。
クスベさんが旅立った事と今後の予定が分かり次第
また連絡する位の短い電話だった

そんな中、主治医が訪れ現状を確認し事後処理が粛々と行われた。

気が付けば時計は2時を過ぎていた。

私は、ソファーで気が付いてたら寝ていて、起きたら朝になっていた。
9時過ぎ位から周りの方々が訪れた。
マンガの様な方が葬儀屋さんも手配しており、奥様は当初翌日の月曜日の葬儀を希望してたが、火葬場の予定で水曜日になった。

これも何かの縁なのか?水曜日は私の休みの日、翌木曜だけ忌引きで大丈夫だった。
今後の予定を、イチさんに連絡しランチ終了後こちらに向かうとの連絡が有り、奥様にもイチさんが来る事を伝えた。

その後、クスベさんの着替えをして安置所に向かう霊柩車を見送り、一時解散となり、イチさんが来る時に迄奥様と別れ、周りの方々と昼食に向かった。

昼食後、安置所に行って見ようと皆で安置所に向かった。

ビシッと決めたクスベさんが気持ち良さそうに眠っていた。

いろいろ、昔話を聞きながら時間は過ぎて行き、そろそろイチさんが
こちらに着く時間になり、周りの方々と別れ奥様と合流し、駅にイチさんを迎えに行った。

改札口からイチさんが見えた、私は人目もはばからず泣いていた。
張りつめていた気持ちの糸が切れるとはこの様な事なのか?

改札口でイチさんと奥様の挨拶もそこそこに、クスベさんが居る安置所に向かった。

安置所で眠るクスベさんを、見つめるイチさんと奥様。お線香の香りが室内を包み込む。

眠るクスベさんを見届け、休憩室で改めて3人で、イチさんのお店にクスベさんが来た事や、いろんな事を話しながらあっという間に新幹線の最終の時間が迫ってきた。

奥様と中の駅で別れる際に、水曜日にまた来ますと伝え、私とイチさんは最終の新幹線に乗り一路東京に帰京した。

イチさんは経った数時間の為に遥々来てくれた。この恩は一生忘れる事は無い。

水曜日、最後のお別れの日が来た。

マンガの様な方から、普段着で来る様に言われクスベさんから貰った服とズボンとスニーカーで火葬場に向かった。

火葬場に着き、私はクスベさんの眠る棺にイチさんに頼んだ、イチさんのお店に有る色紙のコピーを棺桶に入れさせて貰った。

これで私の仕事は終わった。

私は一度ホテルに戻り、全てが終わった後に合流するつもりだったが、奥様より最後まで居ても良いとお許しを頂いたので、出棺後改めて火葬場に集合となった。

数時間後、クスベさんのお骨を骨壺に収めた。

その後、周りの方々や奥様達と精進落としでは無いが、食事をしながら奥様の労をねぎらった。

翌日、改めて奥様に挨拶しに伺いクスベさんが好きだった某カレーを2人で食べクスベさん宅を後にした。

有難うクスベさん、先に向こうで面白い事やゲームを探しといて下さい
今度も一緒に遊びましょう、またみんなに嫌われましょう😂

今日は4月1日です。
この内容に関してのお問い合わせは、一切受け付けません
🤐

このnoteは、今後もダラダラ続くと思います






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