日記2024/05/05「抱く」

・天気が良かったので抱き枕を洗った。

・洗濯機で洗うことが出来ないので風呂場で手洗い。浴槽にお湯を張って、洗剤・柔軟剤で洗う。そのあとは泡が出なくなるまで何度もお湯ですすぐ。特に汚れが凄かったということは無かったが、いい匂いになったしよい。

・抱き枕って水を吸うと信じられないくらい重くなって面白い。普通に持ち上がらないくらいには重くなる。
洗っている最中、シャワーが水圧で暴れ全身がびしょ濡れになった。美少女のように「パンツまでぐしょぐしょ~」と言いました。浴室で一人。こんなの青春だろうが。


・俗説なのか知らないが、「抱き枕は寂しさを和らげる」「抱き枕で安心する人は寂しさを感じている人だ」みたいな言説がある。科学的根拠とかは知らない(調べるのも面倒なくらいどうでもいい)が、私的には正しいのだと感じる。

・抱き枕を抱くと安心感がある。しっくりくる、満たされるという感覚がある。体勢的な感覚を超えた充足感がある。これは言ってしまえば人肌恋しいとか、隣にいて欲しいみたいな(気色の悪い)感覚なのかもしれない。そう感じる肉体が確かにある。

・しかしそれに反して、私は誰とも同衾したいと思わない。夜は孤独に、一人であるということだけに充足して眠りたい。誰にも認識・知覚されない、それこそが自由であると妄信しながら安らぎの中微睡んでいたい。

・だから抱き枕によって感じる安心とは、体に、DNAに残った生得的な欲求の名残なのだと思う。それに対して、孤独をこそ抱いて眠りたいという欲求は、自意識を歪にアーティスティックに捻じ曲げた結果得た、後天的な成果であるのだと思う。

・本能と理性の拮抗。これはフロイト以後の人類永遠の課題であるが、現時点での私は理性が勝っている。そう思いたい。そう在りたい。
「本能、という言葉につき当たると、泣いてみたくなる」これは太宰の小説だったか。本当にその通り。生得的な部分をすべて「私」で塗りつぶし「私」は完成したい。この矛盾をどうすればいいのだろう。

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