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ペラッペラ人生:陰キャから陽キャへ①

前回、プレステージの決勝の話をさせて頂きましたが、ガッサー!!と昔に遡りまして、時は1990年。

僕がまだ幼稚園児の時です。

徳島県の田舎で過ごしていた僕ですが、その田舎は田舎でも、地域分けされておりまして。

集団登校とかする感じ分かります??集団登校って住んでる場所、地域によって集合場所が違ってたでしょ?

あの地域、場所で、そこに住んでる人の属性が変わっていたのです。

言えば、『この地域に住む人は明るい』とか『この地域に住む人は活発』とかね。

そして、住んでる場所、集合場所によって僕の幼稚園ではバッチが与えられ、そのバッチを制服の襟元につけなくてはいけませんでした。

集合場所は細かく分かれていたのですが、バッチの色はそこまで色があるわけではなく、地区名が【大林】【赤石】【森本】【北馬】4色だったと記憶しています。


僕らが集合するグループの名前は【大林】の『天神』でした。

バッヂの色は青。

この【大林】と【赤石】が人数が多くて、残りの二つの地域は一人二人くらいしか生徒数がいない辺境の地的な扱いでした。バッチの色も緑とかピンクとかだったし。


ちょっと言葉が拙すぎてイメージが伝わってるかどうかが心配ですがとにかく地区によって色分けがされており、30人くらい同級生がいて、男子は16人、そのうちの8人が大林、6人が赤石、残りは辺境の地でした。

で、幼稚園の頃、この大林組と赤石組は対立関係にありました。

大きな国道を挟んで二つに分かれていたこの地域は、小学3年生で、自転車を乗り回せるようになる権利をもらう『自転車検定』をクリアするまでは自分たちだけで行ってはいけない地域でした。

歩いていくにも小学生からしたらまぁまぁ遠い。

なので自然と遊び友達も限られて、基本的に大林の子は大林で大林組の友達と。赤石組は赤石組でとなる。

そして、立地的に赤石組は、阿波赤石という駅があるくらい大林に比べると栄えておりました。

大林にあるのは公園一つと、天神神社、魚の採れる用水路、すっごい小さい商店が一つ。それくらいしかない住宅地。この住宅地も今は耐震強度などの問題でほとんど人も住んでおらず、ゴーストタウンと化しているような場所ですが、当時は家賃も安かったため、住宅の奥のほうにいくと指のない人や、訳あり外国人など、とにかく治安がいいとは言えなかった。

僕の家の周りは幸い変な人はいなかったけど、とにかく野良犬が多かった。


対する赤石は、ドラゴンボールのカードダスが置いてある大き目の本屋、コンビニ、ガソリンスタンド、郵便局、雑貨屋さん、スーパー、とにかく物量が全然違う地域でした。公園も2つ3つあったし、神社に負けない大きさのグランドがあった。

大林組からすればもう完全に都会です。

完全に負けております。物量が全く違う。


なので大林の者は自然で遊ぶか、家でテレビゲームするかって感じの子供が多かったです。

赤石はみんな外で遊び、都会的な遊び方と、大き目の公園やグランドではしゃぎまわることも出来ました。

思えばここで陰と陽に別れたと思います。


僕はというと完全に陰でした。

魚採ったり亀採ったりして遊ぶ大林同級生は実はそこまで多くなく、以前の記事で書いた仲良し7人組の一人、Sだけでした。


僕の友達の説明は、このあたりの記事を参照にしてください。

残りの大林組は基本的にずっと家でゲームしたりするタイプだった気がします。

幼稚園からずっと一緒だった、仲良し7人組(エロティカ)のうちの6人も、幼稚園の時は敵対しておりました。(I治は中学からの友達)

それもそのはず、大林組は僕とS,残りのY野、双子二人、M吉は赤石組でした。

いわゆる都会メン。

そして、Y野は4月産まれ、M吉は7月、双子は8月(明日)生まれです。

僕は11月、Sは10月。


幼稚園児の時のこの数カ月の差はめちゃくちゃでかいんですよ。体格も違えば、運動能力も全然違う!(まぁ僕は生まれ関係なく運動音痴でしたけどねヘケケ!)

赤石組に勝てる要素が本当にありませんでした。誕生日で言うと大林組に4、5月生まれは一人もいなかったと記憶しています。

兵力も、武器力も、資源も劣っている大林組を、赤石組が見下してくるのに時間はかかりませんでした。

幼稚園内ではY野がガキ大将で威張り散らしていました。

幼稚園にある遊具はまず全部赤石組に支配され、僕ら大林組は砂場の隅っこで泥団子を作り、その泥団子が時には人に、時には食べ物に、時にはお金に変わり泥団子のみでおままごとをしていました。

そして、大林組の8人は全員仲良かったかと聞かれればそうではなく、4人、2人、2人みたいに分かれていて、結束力があったわけでもないし、なにより僕は大林組の中に一人めちゃくちゃ苦手な子がいて、顔ひっかかれて血を出したり、悪口を言われたりして、大林組のなかで内戦もよく勃発していました。


こんな状態で赤石組に勝てるわけありません。

ここで劣等感を植え付けられます、わたくし。

亀とかザリガニを飼育していると『ほんなん子供がする遊びでぇ』と双子兄から言われ、(同い年の5歳やのに)ショックでしたが、赤石組には勝てないので、へらへらしてなんとか乗り切るという惨めなかわし方したり、とにかく陰も陰でした。

虫取りや魚取りを下に見られ、これを封じられたらもう大林組は公園でクローバーで花冠を女子と一緒に作るしかねぇじゃねえかと絶望しているときに、じいちゃんが悪魔のプレゼント『ファミコン』と『スーパーマリオ3』を僕に買い与えてくれました。

僕はどんどん陰へ陰へと潜っていくのでした。


続く。

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