いらない寄付

誰の言葉か忘れましたけど
魚が欲しい人に魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えろ
みたいな言葉がありますよね。

マジでそうよね。これ。

これで魚をそのままポンッて渡してしまっても、その時はいいかもしれませんが、その問題ですよね。
釣り方を教えれば、魚のいる場所を教えれば、その人は継続的に魚を手に入れる事が出来るんですが、1匹まるまるを渡すと、その後食べたいとき、必要な時に、魚を渡した人に依存するしかなくなるのです。

芝居にも共通するなってところがあって、演出家が役者にやってみせて、「今僕がやったようにやって」って言ってしまえば正解をそのまま、ぶつけているだけなので、その場はうまくいくかもしれませんが、

その役者がうまくなることってないんですよね。

だから結果、それ以上でもそれ以下でもないものになるのです。

上手な演出家であれば、やりかたを指導したり、このセリフでどういった感情になるのかを、役者に考えさせ、うまく誘導するなり、役者の引き出しの奥のほうにあるものや、新しいものを作るなり、役者自身の引き出しを増やす。

考え方や、セリフとの向き合い方を教えるから、他のセリフでもその対応が出来るようになるのです。

正解をそのまま渡しても、その正解以上になることはないですし、そのセリフの正解しか分からないので、他のセリフでまた迷うし、分からなくなるし、他の芝居出たときに困るのです。

依存したかたちになっちゃうみたいですね。


確かにそうだな~って思ったことがあって、

アフリカがずっと貧困なのはこういうところ、良かれと思って寄付しているものにも関係があるんですって。

たとえば、聞いたこと皆さんあると思うんですが

『アフリカの貧しい地域の方は物がないだろうし、子供たちは勉強する文房具もないらしい。よし!寄付しよう!』

みたいな話。

で、結局そのものが送られてくることによって、アフリカの人たちはそれの作り方が分からないから、また寄付に頼るしかなくなるみたいなんです。
依存するかたちなんですよね。

だから物送るより、作り方を教えたほうがいいみたいです。そっちのほうがアフリカの人たちの仕事も潤うし、お金も回るから、経済が発展するんですね。

答えをそのまま渡してはその場しのぎでしかなく、意味ないって話です。


あとは
『アフリカの貧しい地域の方たちは着る服もないだろうし、僕たちが着なくなった服をそのまま捨てるくらいなら寄付しよう』
って考えで、アフリカに寄付する方の話とか、服や靴が寄付されているって話、聞いたことありますよね?

あれで、服を送る人が結構いるみたいなんです。

そうすると

服が大量に入ってくる⇒多いので、現地の人にタダで配られる、もしくは1着5円などで売られる⇒現地の服屋さんがもうからない⇒仕事が増えない、なくなる

となってしまって、今となってはありがためいわくな寄付となってしまってるみたいです。

良かれと思ってやってることが、ありがためいわくってどっちも損してますよね。

震災の時に「千羽鶴送るな!」って話も見ましたけど、マジでそうですよね。
僕ならこんな捨てにくくて、役に立たないものマジでいらないですもの。

じゃあ何がええねんって思うじゃないですか。

技術と時間ですって。

自分に出来る事、スキルや知識でNPOの方々の助けになること(事務、簿記の資格とか)などで助けたり

時間を使ってボランティアやそういう活動してる人おるよって勧めたりですって。

物は災害や紛争が起きた直後は必要かもしれませんが、何日か経てば必要ないみたいです。

考えてみたらそうよね。逆の立場なったと考えたときにそうよね。

先をみて、何事も相手のことを考えて、行動しなきゃですね。


あと、関係ないですが寄付やボランティアで思い出しましたが

『恵まれない子供たちの為に小学校を建てたい!』って言う人立派ですけど、建てたあとの経営とか、それこそ先生の教育とか先生のお給料とかどうしていくんやろって聞くたび思うんですがどうなの?

恵まれない地域である以上、最初はお金もないでしょうし、経営していくのはどこでどう採算つけていくんやろうって単純に思ってたけど、その答えみんな知ってます?

建てた後の学校って今、どうなってんねやろう。

調べたら出てくるかな。

教えておくれ。

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