決断をするとき

わたしは今、決断の狭間にいる。
だから、とても苦しい。
だからこそ眠れずにいて、人の文章を読んでは「わたしとちがう」とアプリを閉じたり開いたりしている訳だが。

決断の時というのは、時間が不思議に流れる。

機転がなかった日々は、止めどなく慌ただしく流れており、仕事が嫌だとか、嫌な人がいただとかで怒ったり苛立ちながらも翌日は容赦なく始まっていった。

しかし、わたしの時の流れは今唐突に変化している。

この度、わたしは退職する運びとなった。
理由は転居だ。
造作もなく、強制的に現在の職場から遠退くこととなる。
嬉しいようで悲しいようで、めちゃくちゃ嬉しいなと個人的には思っている。
なんせもとより出不精であり、飽きっぽい性格なので、今の仕事というのは面白みもなく単調でつまらなかった。
務めるということ自体が向いていないように感じるからだ。退職というのは無条件に嬉しい。

ただ、わたしはこの度の転居により、突如大黒柱となるのだ。

能動的に。

いや、正直わたしが大黒柱として機能するかはわからない。先述したとおり、わたしは極端に勤めることに向いていないから。
それにもかかわらず、わたしは大黒柱になろうとしている。

皆が止める。

親は「転居先で今の仕事をつづけたらどうだ」と言う。
職場の人は「広野さんが居なくなるのは考えられない」と言う。
転職サイトのエージェントは「もう少し協力して収入を作るのはどうですか」と言う。
妹は「静岡に帰ってくればいいのに」と言う。

そのとおりだと思う。
わたしも現職をだらだらと意志なく続けることになると思っていた。何度も転職活動したが、結局今までに職を辞することはなかった。

正直、お客様も職場の方も割合好きだったのだなと思う。

それなのに、わたしは仕事を辞める。

仕事を辞めると告げてから、わたしの心の居処が分からない。
ストレスを感じやすい性格で、高校まで自分を抑圧して過ごしてきた。大学に入り、自我の解放と大人の自由に酔い潰れた自己固定感を無理やり植え付けることで自分を守ることを学んだ。

人にどう思われるのは、どうでもいいとわりきったはずなのに、今になって「わたし大丈夫かな」と不安になるようになった。

そうしたらまた時が進むのが遅くなってしまった。

自己肯定感は自らの手で生み出したので、もうわたしは大丈夫だと思っていたのに。
突然の環境変化で、既に乱れ始めている。

わたしは、すべてを変えると決めたのに。
未だに変わることを誰にも許されていないように感じる。

今は決断の狭間。

心身共に厳しいのはとてもわかる。
覚悟の上。

だけども、それでも苦しいことには変わりない。
誰も助けてくれることはない。今後もずっと。

仕方ない。
それが決断のときだから。

わたしは今耐え忍ぶ時期にあるのだと分かっているので、音楽をきいて、エッセイを読んで、テレビでドキュメントを観て、布団で身を温めている。

それでも時は進まないし、何も身に入ってこない。
わたしはこの苦痛を耐えて、また新鮮な苦痛を迎える準備をする。


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