ゆめ

小学生の頃、わたしの夢はふしぎ発見のミステリーハンターになりたかった。
寒暖差がつらい異国で山々をくぐり抜け絶景を見つけたり、現代人とは離れた思想の古代人の実跡に想いを馳せたりしたかった。
小学校の卒業文集にはその思いの丈を熱烈に書いた。恥ずかしかったのでたった3行ほどだったけれど。

中学校の頃、わたしの夢は教員だった。
中学時代は先生運に恵まれ、素敵な先生にたくさんお会いした。あの方々と一緒に仕事がしたいと思った。中学校の卒業式で、生徒会長でもないのにある先生の一任で答辞を読んだ。
将来の夢だけでなく、周りの人々に日頃の感謝と愛を伝えた。夢より夢を伝えた時の人々の感動した空気がわたしの中では印象的で、教員になることが遠ざかった。たくさんの愛を感じたかなり稀有なひと時だったと今になって感じる。

高校の頃、わたしの夢は教員ということになっていた。
教員になることはまあ「なってもいいかな」といったくらいで、どちらかというと日本史が楽しくて仕方なかった。社会の先生が面白い方で大好きだった。世界史はタヌキみたいなおじさんで、日本史はまゆ毛がとにかく凛々しいおじさんだった。部活が厳しくてトラウマになったわたしは特進クラスに進んで、引退後は苦手な英語地獄と日本史天国を行き来していた。
正直、将来の夢なんかなくて日本史が楽しかった。
日本史が楽しかったので、社会科の教員養成課程がある私立大学で日本史を学ぶべく受験した。大学は先生の言いなりで決めた。日本史ができれば正直なんでもよかった。

大学の頃、わたしは教員養成課程の上長と大喧嘩して養成課程を辞めた。
まあ理由はいろいろあるが、学生の意向を重んじない大学側に対して憤怒したため、辞退する形になった。大学に入ってから考察力が向上して、主張が激しくなった。バンドサークルに入り、自己表現をしって、言いなりができなくなった。しかし、今まで人の言いなりだったわたしは「いやだ」ということは言えてもそれが「どうしたいか」に繋がらなかった。
色々な苛立ちは音楽にぶつけたり、酒を飲んで晴らしていた。最近の人間形成はかなり大学時代に左右されていると思う。優等生は疲れてしまったのだ。
教員の夢はとりあえず絶たれたが、日本史は先生に恵まれ、厳しくも楽しんで研究できた。無我夢中にやったことと、研究表題が良かったことが重なって、教授に頼まれて4ヶ所で研究発表をした。研究者にめちゃくちゃに揉まれたが、燃えた。研究職は貧乏だし、先の見えない厳しい道だが、進みたいと思った。
しかし時は遅く、4年後半で大学院受験も終わっており、ましてや英語嫌いのわたしが受かりそうにもなく、諦めて適当に受けた民間企業に就職した。その後、労働のつらさ、対価の弱さ、精神不安から半年で退職して現在はフリーターをしている。

わたしの今のゆめはなんだろうか。


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