「おまえはこれを買ったのか」

今日は母の日だ。
世の中では母の日のプレゼントはカーネーションとかエプロンとか普段使いのバッグとか、わかりやすいものを贈りがちだ。それでいいと思う。

はじめてしたアルバイトが花屋だったのだが、4月から土日契約で入ったので、突然混んだ感じを味わった記憶がある。数日前からカーネーションは、切花でも鉢でも入るのだけど「あなた達には花の水揚げはさせない。アレンジも教えない」というパートさんがいて、完全に勘違いしていた。あくまでもパートなのだ。電気代も水道代も雑費もテナント代もオーナーが支払っているわけであって、自分はパートタイマーだという自覚がなく、まるで経営者のような振る舞いだった。もうひとりパートさんがいたが、完全に上下関係があり、こっちの普通のパートさんは、物凄く良い人だった。この良い人の方のパートさんから聞いた話だと、やっぱり勘違いパートに顎で使われて、我慢に我慢を重ねて、1年後くらいにやっとアレンジを教えてもらったと聞いた時には『うわぁ。。。』と思った。契約時に25万円を貯めたら辞めますという話をしていた。最初に言っておいて、良かった!と思った瞬間だった。

カーネーションは前日にけっこうな量が入ってきた時『これ全部さばけるの?』というくらい入ってきたのだが、ほんとうにさばけるのである。オーナー、すごいね!いちばん予算が少額でも買えるのが切花一輪のカーネーションで、けっこうこれが売れるのですね。あと、鉢のカーネーション。メインはカーネーションなのだけど、ほかの高い花も売れたりする。午前中の商戦が終わり、このアルバイト先にはバックヤードが存在せず、お客様がいない時間にレジ前で椅子に座り、隠れてごはんを食べるというスタイルで昼ごはんを食べていた。

午後の商戦がはじまると、ある中年女性が憤慨して店に入ってきた。

「さっき、ここでこのユリを買ったんだけど、茎が折れてた。どういうことなの?今日は母の日なの。母にプレゼントするために用意したのに、どうしてくれるの」

この手のは実は、いろいろなケースが存在する。アレンジ中に折れたか、店内とか誰かに知らないうちにぶつかってしまい、知らないうちに折れたか、移動中に折れたか、最悪なのは。。。書かない!

また、よりによって、カサブランカ買ってるし。。。値段と香りが高いユリなんです。そうしたら、はじまった。

「あなたが謝りなさいよ」

「お客様、すみませんでした。ごめんなさい」

よくあるやつっすね。謝罪の強要は当時は高校生でしたが、内心『えっ!アレンジしたのパートじゃない!』というのは一瞬ありましたが、誰かが謝れば丸く収まるやつだということも瞬時にわかったので。私に謝罪の強要をしたのは勘違いパートでしたが、お客様によっては「この人じゃない。あなたに謝って欲しいの!」となるケースも実在しますが、この時のお客様の要望は謝罪というよりも、ちゃんとしたカサブランカとの交換だけという感じでした。勘違いパートが切花アレンジの交換分をつくっていましたね。

2回、3回、謝罪して、怒りながらもお客様はなんとか納得していただけました。当然ですね。大切な母の日の母と過ごす時間を奪ってしまったわけですから。

9時から20時まで働いて、普段パートは17時帰宅なのですが、こういう混む日はラストまでいてくれるのですね。他にも、同じ高校に通っている子と大学生がいて、みんなで帰宅の用意をしていると

「持って行きなさいよ、今日は母の日だから」

なんと!私と同じ高校に通っている子に一輪のカーネーションを持って行っていいと!赤いカーネーションを差し出されました。売れ残りのやつ。それでも、心遣いが嬉しかった。こんなドイヒーな人でも母親で、いちおうそういう気持ちがあるんだ!と。

「ありがとうございます!」

単純に嬉しかった!今日は良い日だ!と楽しい気持ちで帰宅した。

「ママ、ただいま!はい!母の日のカーネーションだよ!」

「。。。おまえはこれを買ったのか?大切なお金をこんなくだらない行事のために

金を使ったのか」

「違うよ。パートさんが持って行っていいって、もらったやつだよ。ただの売れ残りのカーネーションだよ。。。」

「ならいい」

貧困とは、もちろんお金の問題は当然のことなんだけど、お金以外の犠牲をつくるものだ。いちばんは素直な心をへし折りにくる。なんかね、無料ファーストみたいなことになると、大人側に相当な心の問題があるのだけど

その大人側の心の問題を読んで、買いたいものがあっても『買ったら怒られる』と思い込みで買えなくなり、欲しいものがあっても『欲しいという気持ちは一時的なものだから、欲しいと言ったら、なんか言われる』と実際にそうなんだけど、ほとんど修行中の僧侶みたいな感じに子どもがなっていくのは

相当ヤバい。この数年後、拒食状態になったり、お金を入用で使おうとすると胸痛がはじまったり、からだがめちゃくちゃになるのだけど

お金という有限なものに対しての我慢は必要なのは事実なんだけど、同じくらい人生も有限なものなんですね。バランスなんですよね。子どもが稼いだお金の使い道まで監視するのはどうかというのがある。もちろん世帯で借金していたとかいう話だったら、いろいろ変わってくるのだけど

親に騙されていたんです。ものすごく長期的に。どうやら親戚になった男に騙された住宅に関する借金は小学生時代で返済終了していたようなのですが、うちの両親、ほんとうに酷くて教えてくれなかったので、子どもが潤沢にお金が回らない状態にしてしまったから、心がおかしくなってしまった。私は今世のざんね〜んな人生をなんとか転じることが

今からでも、できるかな?

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