『不純異性交友』という呪い

今でも充分すぎるほど、私には『不純異性交友』という呪いが効きすぎているように思う。

だいたい言葉が重い。異性と不純に交友しちゃう!不純に交友!

同性でもアウト!だけどね。。。まぁ、妊娠と出産に十代の若い体が耐えられるか?とか、生まれた子どもに経済的責任をはたすことができるのか。とか、学生が学業ではなく、異性関係で若すぎる出産に対して、おそらくは一生付き纏う世間からの冷たい目に耐えられることができるのか、とか

実際に重い悩みが次々と発生するのですが、人によりけり。な部分もあって。人によっては一生守ってもらえるようなケースも現実にあります。その時はたいてい、誕生した子が相当厳しく育てられるケースが多いかな。みたいなのはあります。

私が中高生だった頃、校則が拘束レベルで異常に厳しかった時代でした。というのも、だいたい5年くらい前が

不良に学校を破壊されていたような時代だったため、私が生徒手帳を持つ時代には、校則の細かさが異常に厳しいことになっていました。

要は、ばかな先輩のせいで、こっちが

迷惑かけられた。という感じで、早いうちに矯正してしまえ!という校則になっていたんです。

『不純異性交友』という名前のパンチが強いというか、なかなか破壊力があるネーミングですよね。

私が中高生だった頃の法律が女性は16歳から、男性は18歳から婚姻が可能だったのですが、ここはたしか、法律が変わった記憶で。今は18歳同士だったかな?なんか変わったんですよね。

だから、ある意味、校則は厳しかったけど、専業主婦に対して寛大だった時代だったように思います。16歳から、収入ある男性と結婚すれば、子どもがいてもちゃんと育てれば、認める。という感じで。

私には『不純異性交友』という言葉が今でも効きすぎていて。うまく洗脳が解けない感じです。もう校則なんて存在しないのに、なぜか駄目で。言葉が効きすぎたんです。人生でまったく異性交友がなかったわけではないのだが、結果的に無理で。一度『無理だ』と思ってしまったことを覆すって、よっぽどなんです。

よくばかが「ヘタなやつだったんだ」みたいなことを言って、アレをアレしようと企む。とか普通にある。のだが、それが

『不純異性交友』が成立する。。。動機が不純に異性と交友しようとしてんじゃん!校則がない世界にいても

普通に無理じゃん!!!

逆に私が異性に純情に交友を。。。という場合は

スルー。。。

。。。不都合な真実。。。

人間に興味がない。というようなひとを好きになりがちで。

過去に好きでもない人とアレしてしまったのは完全にメディアの影響で。『女性は男性に愛された方が幸せだ』とか『女性は男性に愛された方がうまくいく』とか、そんな感じなのがあったのだけど、あと、『人は外見じゃなく、中身だ』という話もあったのですが

ウソです!

男性が女性を愛する。というより、ただの性欲と支配欲でした。人はそこそこ中身が外見に現れます。隠せません。結果的に私はそう判断しました。だから、たいしたことない男が自分が弱いと思い込んでいる女性を性欲をもって支配する。ということをされた。んですね。

アルカイダ。。。だな。。。

だんだんわかってきて、別れようとする。というか、別れるわけですが、向こうは別れるのは嫌なんです。散々支配しておいて

次はない。と、思っているんです。
自分はモテない。と、知っているみたいなんです。

このへんは今もわからないです。
なんで、私のことがすきだったわけ?みたいな感じです。好きなひとを侮辱したり、支配して、おまえ最悪な男だよな。みたいに思うことが多々発生したわけですが

本人がどうやら、そういうことがわからない。ということだったのだと思います。

残念ながら、この周りのお友達も私とはいろいろ合わなかった。という事実もあって。私が高飛車だとか、そういうことではなく、その場で、ひとり同期がいなくなると、男女問わず

いないひとの悪口が止まらない。という、ずいぶんステキなお友達で。。。まずこの時点でいろいろ逃げたくなりました。

私は人間関係や異性関係において、判断は相当早い方だと思います。たいてい早い時点で『自分とは合わない』とか『このひと無理だ』とかわかるんです。なんか逃げられなかったのは

自分が間違えているのかもしれない。とか
人には誰にだって弱点はある。とか

なんというか、自分の気の弱さから、自分を逃げられなくさせていた。というように思います。我慢が足りない。とか、わかっているのに自分で自分を苦しめていた。という感じだったんです。

『女性は男性に愛された方が幸せだ』としたら、男性がその女性が運命の女性と思うくらい惚れてしまうこと。という前提がないと、愛するという意味の間違いが発生する場合がある。

性欲は欲で。愛ではない。
愛は時間を掛けて好きになって、恋人になって、妻や夫になることを周りに認められていくこと。愛は長く重い。だから

『不純異性交友』は、そこがスタートだった場合は、普通の恋愛よりも

ずっと責任の重さが大変だと思う。

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