憧れのハンバーガー 前編
子どもの頃、マクドナルドが上陸した。
マクドナルドの読みものを読んでいると、第1号店は銀座。今ではいちばん安いハンバーガーが、当時はひとつ、500円だったと記憶している。
そうすると、競うように日本国内でハンバーガー屋さんが次々と登場した。この時代そのものが高度経済成長で、ハンバーガーという食べものが豊かさの象徴だったような気がする。
すごく覚えていることがある。
まぁ、へんな親戚に親が騙されて、私の家は欠陥建築を建てられてしまい、その上計画していた銀行への借り入れ金が倍額になり、新築を建てたという時点で税金が発生し、嘘みたいなのだが『絶対的な祖父』が他界して、
想定外の住宅ローンの他にも
もうね、規格外なんだよ。。。いろいろめちゃくちゃすぎて、いろいろ余裕なくて、
たしか『離婚した祖母』も、祖父の他界と同じ年だったか?『長生きしてしあわせに暮らしました。おしまい』とかじゃなくて、人間の黒々とした渦のようなものに飲まれていったんですね。同じ年か、翌年か、とにかく祖父の他界の近い感じの年に他界『したようです』。
。。。金欲で、人間だけが持つ欲で、父親の親族はめちゃくちゃになったので、母の親族には仲良いままで、というのが
我が家のいちばん最初の不運だったように思います。不運のはじまり。スタートです。
それは男の嫉妬か、女の嫉妬か、という話になって考えると、最終結果としては『女の嫉妬』だったように思います。途中経過では『男の嫉妬』だと思っていました。
私のうちの借金苦で衣食住の『衣と住』には困る状態だけど『食』は大丈夫(飲食店経営だったので)という生活の中で、
うちを嵌めた親戚は衣食住すべてが叶っているように見えたのに、実は借家で、どうやら相当賤しい食べ方をしていた事実が発覚したり、子どもかわいいで服の他にもばかばか買い与えていたようで、心理的な負荷が掛かると少なくとも、夫とセガレは
母親をいじめていたように見えました。
娘もいたのですが、ばかばか買い与えた結果
「金のない親には用がない」
だった。。。
びっくりした。あんなに与えてもらっていたのに、恩を返すとかないんです。
うちの家族は突然貧乏になったようで、私的には『うちは貧乏だ』と思って生活していたのですが、実は第一子はいい生活をしていたので、貧乏に対しての捉え方が別物なんですね。
私→うちは貧乏
第一子→突然貧乏に『させられた』
と、想像しています。第一子は私を標的にしましたが、ほんとうの標的は、この『へんな親戚』なんですね。
で、現在その『へんな親戚』は同じ町に入って来たのですが、だから、昔のトラウマに次々と襲われてnoteに書いているのですが、
私、まだおチビさんでしたから
『うちはびんぼうだけど、あのうちはなんでもかってもらえて
おかねもちなんだ』と
思っていた。。。だけど、第一子は
全部わかっていた。残酷なほどに。
その『へんな親戚』なんですが、1年に1度とか、2年に1度とか、数年に1度、母を呼び出すんですよ。
「うちの子のお古をあげるから、遊びに来て」というやつだったのですが、
この古物が揉める火種になるんですね。最初の頃は『普通のお古』でした。「あぁ、これはかわいいね!」くらいのものでしたが
どんどん変わって行きました。うちでは買えないフリルやレースのものがやってきた辺りから、うちで「こんな高い服着てる!」となり、その上、
向こう太っていて、サイズが合わないから、着ることが不可能という。。。ワンショルダーになってしまうんですよ。ほんとうにいらないものだったのですが、母は向こうが「お古がたまってきたから」と言われると、行ってしまうんですね。それで着ることが不可能な服や謎の古物を紙袋2つに抱えて電車を降りて自宅に帰り、その紙袋2つを開けると
なぜか私が第一子から殴られる。。。
毎回毎回その繰り返しなので、小学生の時に母に懇願したんですね。「殴られるのが嫌だから、
もらってくる古物を袋ごと
駅のごみ箱に捨ててきて」と。「それはできない」と言われて終了。ちーん。
「親戚だから、しょうがないんだよ」と毎回言われ、数回『伯母ちゃんのうち』に行きました。その当時は、子どもが欲しいもので溢れているように見えましたが、今風に言うとゴミ屋敷ですね。。。子どものもので溢れている平屋でした。硝子戸の向こうには天井辺りまでのコミックのタワーがいくつもあるように見えました。普通に地震が来たら、窒息死するレベルのコミックタワーでしたね。
それで、伯母が「なにが食べたい?好きなものを買ってあげるよ」というわけだ。どういう流れかよく覚えていないのだけど、マクドナルドに行って、伯母と伯母の娘と母と第一子と私の5人だったと記憶しているのですが、はじめてハンバーガーを食べたわけだ。まだ小さかったせいか、ピクルスがダメで、貧困から少食で「いっぱい食べたらダメ」みたいなことを現実として母が言っていましたね。当時は外見上、社会システム上(どっちもメディアっすね)『太っていたらダメ人間な新興宗教』的な要素が世の中に浸透していて。。。それは今もか。
まぁ、高級食マクドナルドのハンバーガーを食べたわけだ。ところが
「サーティワンにも行こう」
と、なった。。。うちの文化というか、食生活ではありえないやつで。だいたいどっちか。という感じで、こういう贅沢はない!のです。おそらくは、うちが少数派かもしれませんが、私のうちでは、ありえないのです。うちでは食べ過ぎです。でも、母は断らないのです。
それで、流れでアイスクリームを食べるわけで。こういう食生活ではなく、洋食はメインとサラダとスープだけ!3時のおやつの時間にアイスクリームがあるよ!という食生活なのに、断らないでアイスクリームを食べたら
数十分後、私、吐いてしまったんですね。。。
第一子はずっと笑顔で
「すごい!今日は豪華!こんなのうちでは食べられない!」とか言ってたんです。
電車に乗るために改札口で伯母とその娘と別れたあと、第一子が豹変したんです。たしかに私は聞いた。
「あれはうちの金だ」と。
。。。どれがトラウマになったのか、書き出しても「これが原因!」と言えないのですが、吐いたせいか?暫くの間、ハンバーガーとチョコミントのアイスが食べられなくなりました。
でもね、チーズバーガーのプレーンなら大丈夫!ピクルスないし、ケチャップもないけど、チーズの塩気とビーフの塩こしょうで、味は付いてるし!
まだね、チョコミントアイスは食べられないのでした。。。
心のどこかで、たまたま食べ合わせが悪かったのだと思っていて、ハンバーガーへの憧れはつづくのでした。
つづく。
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