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明治 近代文学 名著復刻版

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1868〜1912(明治元年〜明治45年)
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#日本文化

二人比丘尼色懺悔

尾崎紅葉 21歳。 表紙に「新著百種」 表紙の黒い部分をよく見ると・・「二人比丘尼色懺悔」 さりげなく目次が書かれている。一番下には「第一号」。 ・・・ 新著百種 「いろ懺悔」 板元よし岡(吉岡書籍店) *板元=版元  ・・・ 「春のや生」は坪内逍遥。 ・・・ 会話は二重丸括弧。現在の鍵「」ではないんですね。 あと、会話での間合いに「・・・・・・」がよく使われています。

十二の石塚

湯浅半月 27歳。 同郷の群馬県出身、新島襄(現・同志社大学創始者)を慕い、同志社に入学。 同志社大学卒業の際に朗読した詩集「十二の石塚」。 薄いパンフレットのような小冊子。 洗礼を受けているクリスチャン。 イスラエル、ヨルダン・・ 本名は湯浅吉郎。 本のカバーのあざやかなオレンジ色の意味は?と調べてみましたがよくわかりませんでした。ただ、専門としていた旧約聖書や古典ヘブライ語に関係する色なのかも・・たとえば儀式またはシンボルカラーとか。 ・・・ 京都御苑のすぐ

当世書生気質

坪内逍遥 26歳。 ほんの少し新しい絵柄になってきたような気もするけれど、やはり江戸の浮世絵。 ところで明治に入ってかれこれ17年も過ぎているのになぜ?とちょっと不思議に思った。 と、調べてみたら、やはりそういった感覚をもったのは私だけではなかったようで。 当時、「古いのはやめて新しくしよう」という意見はあったらしいけど、庶民からのブーイングで結局は慣れ親しんだ浮世絵にしたのだとか。 現在とよく似ている。今は過渡期。あと少しで古いものが消えていくと思う。

学問のすゝめ(初編)

福沢諭吉37歳、小幡篤次郎30歳 初編は33ページのみ。薄いパンフレットのような小冊子。 福沢諭吉の郷里である大分。その中津市学校の子弟のために書いたのが「学問のすゝめ」。 ちなみに上の写真の表紙に「全」と書いてあるのは、この一冊のみの予定だったとか。 それがのちに全国的に流行り、二編以下を刊行することに。そして最後になってはじめて一番最初の本を「全」→「初編」と名を変更。 このとき、はじめて「学問のすゝめ」を読んだ若い人たち。 きっと新しい時代にものすごくわくわく

安愚楽鍋

仮名垣魯文、40代前半。 まさに幕末〜明治維新という激動期。 右上 牛乳=ミルク 乾酪=チース 乳油=バタ 乳の粉=パオタル(パウダー) ・・・ 文明開花。西洋の食事を「食べたい」人たちがご来店。 ・・・ 右上 ビイル=ビール サンパン=シャンパン ひとりでまったりと牛肉を堪能している様子。 新しい髪型でしかも洋服姿。 ・・・ 「牛の雑談」、あぐらをかきながらのおしゃべりの様子。なんだか風刺画のようです。 ということで、文章のほうはさっぱりわからなくても挿絵