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わたしの日

私は、毎年カレンダーに丸をつける日が一日だけある。

それは、誰かの誕生日でも、ロマンティックな想い出の日でもない。
その日は、「わたしの日」なのだ。

ちなみに、「わたしの日」は、私の誕生日でもない。

とあるよく晴れた日、その日は本当に天気がよく、雲も風もあまりなく、陽射しは柔らかで、室内にいるなんてもってのほか!というような気持ちの良い日だっだ。

ベランダに出て外を見ると、歩いているのは犬を散歩させているおじいさんだけ。
鳥の鳴き声と、あと、どこからか子供の笑い声が聞こえる。全てが穏やかで平和という概念が作り出したようなそんな陽気だった。

私はぐーっと背伸びをして深呼吸をすると、顔を洗い一番好きな服に着替えた。せっかくだから、こんな日にふさわしい場所に行こうと一番好きな海の近くの町に向かった。

海には、人がほとんどおらず、カモメとトンビが上空を舞っている。
海はいつ見ても大きい。でも少し静かな分、さらにもう少し大きく見えた。

途中で買ったミルクティーをチビチビと飲みながら、ベンチに座って海を見ていた。
暑くもなく、寒くもなく、本当に良い天気だ。
その時、ブワッと強い風が吹いた。
思わず目をつむってしまうような強い風だった。びっくりしたなぁと思いながら薄く目を開けると、足元に紙が落ちていた。風で飛ばされてきたらしい。拾い上げると、それは学校で出される先生特製の学習プリントのようだった。懐かしいなと思い広げて見てみると、3行の短い詩が目に入った。

 今日、わたしは、私に会った。
 私はあまりにもつまらない人間だった。
 だから、わたしは、私とさよならをした。

その横に、こう質問が続いている。

「わたしと私は同じ人間でしょうか?あなたはどっちのわたし(私)ですか?」

答えは書かれていなかった。

今、私はどっちの「わたし(私)」だろう?
海を見ながら、私は少し真剣に考えた。「わたし」について考えた。「私」についても考えた。

それで、思ったのだ。

こんなに真剣に考えることこそがつまらないと。
どっちも同じ人間かもしれないし、違う人間かもしれない。
そして、私はつまらない人間であっても構わない。だから、さようならをしてもいいし、されてもいい。私は、わたしであっても、私であってもいい。

とらわれることはない。なんでもいいじゃないか。

そんなことを思ったら、自由になった。私は、わたし(私)から自由になったのだ。

私は、家に帰ると、カレンダーの今日の日付に丸をつけた。
私がわたし(私)から自由になった日の「わたしの日」の印として。
そして、「わたしの日」は、毎年休日にしようと決めた。その日は一日中、自由に、勝手気ままに過ごすのだ。もちろん、一年中、自由に勝手気ままに過ごしてもいいのだけど、意外と日常のあれやこれやに気を取られて、そのことを忘れてしまうものだ。だから、毎年カレンダーを買ってくると、一番に「わたしの日」に丸をつけるようになった。

つまり、好き勝手、自由に生きるぞ。という宣言の丸でもある。


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