病気は克服出来なくてもやらなかったあの日は克服できる

昨年、とある病気が見つかった。
いつも『やらなければいけない事』に翻弄され目につく限り順番に片付けていく日々の中で、細かい事は考えないように生きていたかもしれない。

我に帰ってしまうと、何故自分が…的なネガティブな気持ちや、目の前の歪んでいる物事に対する自分の処遇のアホらしさで、しぼんでしまうから。
だから色んな小さい事には気がつかない事にしていた。
疲れたとかやりたくないとか、腹が立つとか上手くいかないとか、体調が悪いとかそんな事はどうでも良かった。

そんな自分なのに、何かおかしいどこか変だと病院を受診した。
エコーを見るなり青くなり隠しきれない動揺を見せる医者。
すぐさま医大への紹介状が出た。
まぁいわゆる癌だった。

詳しい検査の結果、どうやらそう凶暴な癌ではなさそうだった。
『大きくならないとキチンと判定出来ないから育んでくれ』的に言われ、癌と共生することとなった。

バラバラに見えていた手札が、突然目の前で『死』という役になった。

…さぁて、何をしてやろう。
一度は生まれ変われるチャンスをもらえた人生だから、悔いなく過ごしたい。やり残したと死に際に思いたくない。

…あった。やり残した事。
無謀かなキャラじゃないなと尻込みしていた業界で、仕事をすること。
年々その採用人数は目に見えて減ってきた。
実績がない中途では試験ではなかなか受からず、半ば諦めていたけど…やるか。

あの日、試験に落ちているのにスカした顔で『別に本気でやろうなんて思ってなかったし』って遠吠えしていた若き負け犬め、跪いて役人の靴を磨きポストをおねだりしなさい。
やり残した事はそうしなければ手に入らない。

そして仕事的ゆとりのあった職場を退職し、癌と共に新しい職場でお世話になることとなった。

変なプライドで『やらない』を選択していたが、『やろうとしていなかった』だけ。
靴磨きで得たきっかけはもう手中にある。
後は成果と信用が付いてきたら自分の勝ちである。

あの頃の自分、見てるか。
冒険は楽しいよ。人生を賭けて命を賭けるよ。
真剣勝負さ。
克服できない事なんて、何もないさ。

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