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2023年03月25日 献血/ふぁーす/自転車/日記
本日の運勢→𝓛𝓞𝓥𝓔......
趣味が献血の人、嫌だな(私は献血大好きだけど)
・基本的に趣味って自己で完結する物、他人に開示するべきではない物だと思っているから献血という他者への奉仕が前提とする行為を趣味と言われると、え~となるかも
・じゃあ自己紹介の時に趣味を聞かれるのはどうなのかと言われると、それはそれで話が変わってるんだよな
・姉と回転寿司に行った。(好きなので)(どっちが?)(どっちを?)
・ヨルシカの新曲「451」メチャ良い ナブナの矜持(ただ、最近の古典からの引用はちょっとあんまりかも)
生きてるだけで偉いに対する言説がちょっと前に流行って、そもそも偉い⇔偉くないの二項対立の関係に落とし込める所から間違っているというのは分かるんだけれど、社会の中で、言葉をある程度扱っているのなら、やっぱり「偉い」というべきなのではないか それが社会性なんじゃないですか?(もし、違うのなら、嬉しいですね♪)
なんか、最近言葉という物に対して鋭敏になりすぎているような気がしていて、言葉を扱う以上、そこには社会性が付随していて、他者に伝えるというエッセンスが内包されていて、だからそこに「偉い」という軸を見出すべきなんですよ 見出さなかったらそれは 何というか 言葉の範疇じゃなくなってしまうんじゃない?
まだちょっとよく分からないな つまりですね 言葉というものが社会の中でコミュニケーションを行うための媒体ってのが前提とすると、偉い⇔偉くないの世界の中で生きている人に対して空から手をニュっと伸ばすようなマネは誠実じゃない,社会性を無視しているんじゃないかって思うな ミキは(ミキだったんだ)
— 三島芳治 (@kiroku0000) March 12, 2023
これも同様に感じてた違和感だ 言葉ってまっすぐー>>>>>>>>であるべきだと思ってるからエブエブなんて略すのは残った「リシングリウェアオールアットワンス」に失礼千万な事だと思うな 私は(私か 良かった~)
あ!!!!!!!!!!!!ちょっと違うかも!!!!!!!!
ここで感じてた違和感は、先程うだうだ述べた言語感とは全く別の、現代のマーケティング周りの嫌悪感に関する、あんまりおもしろくない話なのでやめます。
THE FIRST TAKEについて調べようと思ったときに、多分検索窓に「ふぁーす」みたいに打ち込んでも結果に私が望んでいるものは出てくるとは思うけど、そうじゃないんだよな
なんか同じ様な違和感ばっかり抱いてるな 私は コンピューターたちがどっぷりつかっているせいで言葉が「そのもの」から零れ落ちているような感触が、ある
最近のワタシの口癖→ファッキン良い(意:非常に良い)
市立図書館で1ヶ月以上前に借りた、カレーのレシピが沢山載ってる本を早く返せと紙が届いてしまったけど、6年近く載ってる自転車が最近おパンクした上に最近雨ばっかりで、どうしようかなと思っている。
Twitterでしょうもないネタツイbotを2つ作ってみたところ、かたっぽはそれなりに広まったけどもう一方の方は一つも反応がなくて、兄と弟の構図みたいだなと思った。
最近はアイドルマスターシャイニーカラーズのマラソンイベント、プロデューサーカップが楽しみでしょうがなくて、その事ばっかり考えている。(というか、時間もそうとうつぎ込んでいる)
まだまだ、寒い。
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