働くことについて

 管理職になったことで、重要な会議に呼ばれる回数が飛躍的に増加した。「経営会議」という、社外取締役のような方も招いて行う比較的小規模な会議もその一つである。社長は、こんどの経営会議で「働くことの意味について話したい」と語った。とってもベンチャー気質の、ソーシャルビジネスを標榜するわが社においては、「経営会議」とはしばしば「思想」を語らう場となる。なぜ働くのか?働くとは?転じて、今の会社にどんな環境が作られていくと幸せか?など。

 自分なりの考えをまとめて持って来いというので、改めて働くことについて考えてみるものの、そもそも「働くこと」そのものについて考えたことがあまりないことに気づいた。自分の中で「働く」とは、「生きる」ことと全くイコールで、必然的にスケールが膨れ上がってしまうのである。もうちょっとスマートに、「生きる」と「働く」を切り離して物事を考えたいのだけど、そんなに器用なこともできないので、まずは無軌道に考えてみる。

 両親が公務員で、「終身雇用」のようなものに対して絶対的信仰が置かれていた家庭で育ったこともあって、幸か不幸か「自分の頑張りが給与につながる」とか、「頑張らなければ食い扶持も失う」といったようなものとは無縁の価値観が身についていった。中3の秋に「教員になる」という夢を抱いてからはその傾向はさらに強くなり、実際に教員になったことでもはや考える必要も無くなった。なれなかったらどうなっていたかというのは、正直に言えば考えたこともなかった。
 大学生の一時期、漠然と「バンドで飯を食っていきたい」と考えていた時期もあって、自分なりに本気で取り組んだこともあったが、今振り返ってみれば、それはとても「食う」ためにやっているとは言えないような、ままごとに近いものだった。

 なぜ働くのか?
  考えたこともない。
 働くとは何か?
  お金を稼ぐために取り組むこと。
  …なのかもしれないが、自分にはその感覚も、縁もない。
 どんな環境が作られていくと幸せか?
  そもそもそんなことを考えることにどれほど意味があるのだろうか?
  考えたところで、それが人生が変わるわけでもないのに。

 教員をやっていた時の自分なら、間違いなくこうやって答えていた。こんな人間が「社会科」の教員をやっていたのだから、日本という国はとても大変だと思う。

 …そんな価値観が、ある日メンタルを壊したことで180度ひっくり返ってしまった。今日死のう、明日死のう、でも死ねない。実家の布団にうずもれながら、スパイダソリティアとマインスイーパ、そしてよく分からない三段跳びのゲームを来る日も来る日も無心でやり続ける。「教員」でいられなくなった自分にはもはや何も残っていなかったことを噛み締め、噛み締めた。

 薬の力も借りてそれなりに生活が出来る程度に立ち直ったところで、「どうせ死ぬなら」と思い、やりたかったけど「働く」のせいでやれなかったことをやることにした。貯金をはたいて2週間、仙台から鹿児島までのドライブ。行く先々で、教科書でしか見たことのなかった様々な景色を見る旅をした。黒部ダム、伊勢神宮、原爆ドーム、高千穂、鳥取砂丘、養老天命反転地、、、
 これがまあ、実に楽しかった。自分の人生はこのためにあったのかとすら思えた。知らなかったことを知る。見たことの無いものに出会う。何よりそれに、自分の体で以って触れ、感じ取る。それこそが自分の喜びなんだ!それは、ずいぶん長いこと忘れていた、「体に訊く」感覚を取り戻した瞬間でもあった。心と体のバランスが取り戻された時、自分は生き返った。

 できればこの感覚を、人生の中で保ち続けたまま終わりを迎えたい。だとしたら、少なくとも教員を続けることでは叶わないだろうと思い、転職を決めた。人のために自分の命を使うこと「だけ」に時間を割き続けるのは、ゆるやかな自死に近い行為といっても過言ではなかった。
 転職にあたっては、「ゼロからのスタートなのだから、今後3年は我慢が必要だろう」という前提を置き、感覚を保ち続けるための学びを得られるような職場を探した。

 そして今の会社にたどり着いた。が、恐ろしいことにこの会社は正しく感覚的であり、また成長途上の会社でもあった。ここで時間を過ごしていった結果、我慢し続けるはずだった3年間は、会社の成長に伴って「知らなかったこと」や「見たことの無いもの」に「自分の体で以って触れる」を実現し続けることのできた3年間に変化してしまった。都合のいいことに、それ自体が業務にもなった。
 これは、明らかに想定よりも人生を先取りしてしまっている。おまけに収入も、10年かけて目指していたものが3年で手に入るようになった。極めつけには、人生の伴侶すらも出会ってしまった。これがまた強烈な体験で、自分の探していたものはこれだったのかもしれない、ぐらいにまで思わされるものだった。
 そして仕事も順調だし、これをやっていけば大崩れはしないだろう、という見通しも持てている。何かの折に崩れる可能性も無いわけではないが、最悪、食い扶持も無いわけではない。十分夢も見せてもらったし、悲しい気持ちになる日が来るかもしれないが、それは言うなれば「青春の終わり」とでも形容できるものであるような気がする。そこで発奮できるなら発奮すればいいし、発奮できなければその程度のことだった、というまでである。

 さて、こうなってくると、またもや働くことの意味がなんだかよく分からなくなってくる。もっと頭を悩ませるべきなのかもしれないが、現状にこの上なく満足しているので、改善をしたいとも思わず、結果的に考える動機も特にない。考えようとするとなんだか、水を絞るだけ絞って乾ききった雑巾から、また更に水を絞り出そうとしているような、そんな感覚にさえ陥る。
 ということは案外、シンプルなものなのかもしれない。だいたい絞り出そうとしている時は難しく考えてしまっている時である。「働くことを考える」というのは大仰と言えば大仰で、なんだか高尚な哲学じみたことのような印象も受けてしまうが、実際のところはもっと俗っぽいものなのかもしれない。
 裁量が持てて、かつ自分の興味の対象で、収入もそれなりにある、やりがいのあることがしたい。その際、収入は増えれば増えるほどよい。だって、東京都心にも、タワマンにも一度は住んでみたいものである。それが「知らないもの」だからである。ニューヨークだってロンドンだって、住めるものなら住んでみたい。冒険したい!のだ。そしてそのためにはある程度の競争を勝ち抜くことが必要で、今の自分はたまたまそれがうまくいっていて、もうちょっとこの状態が続けばその辺の冒険も直に実現できる気もする。それだけのことだったりするのかもしれない。

 となれば、あとはもう、その時思いつく「やりたいこと」がやれていければもう十分である。それが何かは、その時になってみないと分からない。で、それが「働くこと」を通して実現できればよりオッケー、出来ないならまあ、出来ないなりに生きていけばいい。つまるところ、「働く」とは「生きる」ためのオプションに過ぎず、それが十分でなくたって別に困らないっちゃ困らない。もっと正確に言えば、今の自分からすれば困りようがない。

 もしかしたら仕事柄、どうにかして「社会」と結び付けなければいけないのかもしれないが、それを「どうにかして」と書いてしまう時点で、なんだか無理しているのである。であれば、それはもう「よく分からないもの」以外の何物でもない。そんな「よく分からないもの」を抱えたやつが、「社会を変える」などと軽々しく口にしない方が良いとすら思う。昔に比べて、世の中に対する不満もずいぶん少なくなったし、不満があるなら動くことにしたので、鬱憤の溜まるようなことも起こらなくなってしまったから、尚更である。

 ただ、強いて言えば、、自分は人と関わり続けたいし、仕事仲間だろうが友達だろうが、たくさんの人と関係を持っていきたい。で、関わった人がなんだか辛そうな顔をしていたら、なんとかしてあげたい。なぜかと言えば、「孤独」の恐ろしさを知っているから。
 そんな暮らしが続けていけたら、とりあえずは十分なのかな、と思っている。関わる人を増やしていくための仕事がしたいかな。ひとまず。その「関わり」を増やすためのツールが、自分たちの場合は「解決されていない社会課題」であって、その延長線上に「社会『が』変『わ』る」があれば、それはそれでいいことなんだろうと思っているし、興味が無いわけでもない。そのツールが「IT」だったり「筋肉」だったり「学問」だったりするのかもしれないが、その中で自分が興味を持ってやれることが「社会課題」であるという、それだけの話である。

 あとは、余裕ができたら、、、またいつか、「社会科」を誰かに語るような、そんなことが仕事で出来たらいいかな。

 なんて言うぐらいだろうか。…なんだか、こんなに満ち足りているようなやつが、「働くことについて」を語ったところで果たしてどのくらい意味があるんだろうか?
 どっちかと言えば、現状にとても不満を抱えている人が語る「なぜ働くのか」の方が、よっぽど組織にとっては有意義なような、そんな気もしなくもない。
 さて社長は、どんな話をしたいんだろうか。

もしよければ、コメントとか、サポートをいただけると、とても嬉しいです。そこから関係が始まって、つながっていけるといいな〜というのが、僕の願いです。