「続かない」だけが続いていく

 とにかく何をするにも長続きしない、というここ最近。結局「対話・グルーヴ・ソサエティ」も11回目以降は全然更新できていない。長続きさせられる理由がないのかな、なんてことがふと頭をよぎった。何かをルーティン的に続けていこうという気力があまり湧かない。
 同じことを「ちゃんと」繰り返せるやつが何をしても最終的にはうまくいく、というのは大体なんとなくわかった。趣味もビジネスもそんな感じ。最終的に最後まで立っていたやつが生き残る。今の自分にはそれをやり通そうという気力があんまりない。同じことを延々と繰り返せる人は、将来に対して希望を持っている人だとも言う。たとえば受験勉強、たとえば筋トレ。「先が良くなる」と思っているから続けられる。自分はそういうものはずっと苦手だった気もする。今の自分は将来に対して何か希望を持っているわけではない、とも言えるのかもしれない。ある種のADHD的なもののようにも思う。
 今思うと2019年というのが本当に奇跡的だった。あの時間は一体なんだったんだろうか。やはり、薬のおかげだったのだろうか、あるいはぽっかり空いた時間のおかげだったのだろうか。あの半年は、何かに向かってやり抜き通すという意志をまちがいなく持っていた。今思えばあれが唯一にして最初で最後の輝きだったのかもわからない。

 いろんなことが「ビジネス」に合流していく感じがする。「ビジネス」に合流し出すと途端にやる気がなくなる。なぜかといえばビジネスが辛いことを嫌になる程知っていて、これ以上ビジネスをしたいとも思わないから、かもしれない。noteもたぶんそんな感じで、記事に余計なサブタイトルなんて付け出して「読まれていこう」なんて色気を出すから続かなくなる感じもする。
 そもそもなんで「読まれていこう」なんて考えるのだろうか、なんて思うと記事を書く意味すら果たしてあるのだろうかとすら思えてきてしまう。次第にどんどんやることがなくなっていく。「意味」なんて考えだした時点で終わりな気もする。読み返した時に自分のためになっているならそれでいいじゃないか、だとするとわざわざインターネットで書いて公開する理由も浮かばない。でも実際にはこうやってネットで書いている。noteのインターフェースがとっつきやすいからかもしれない。でもそういうことじゃない気もする。

 結局、中途半端なのだなとは思う。器用とはよく言われるし、そう言われたら悪い気もしないが実態としては半端者で、つまみ食いつまみ食いをしては次に楽しそうなものを探したくなってしまう。そして、その辺の半端さに、なんとなくそれらしい理由をつけて自分を納得させているだけである。納得?何について?それは、理想の自分になれないことかもしれない。理想とは?きっともっとなんでも思い通りにできる自分が幻想の世界にいるのだろう。なれもしないというのに。
 そう、なれもしないと分かっている。でも振り切ろうとは思えない。ある道のプロフェッショナルになりたいと思えない。何でもかんでも片付けなきゃ気が済まないような人にはなりたくないし、一方で次から次へと手を出して片付けられないような人にもなりたくない。
 極端なものがあまり好きではないのかもしれない。真ん中くらいで揺蕩っているのがちょうどいいのだ。こうやって悩んで悩んで何も進まない状態こそが、じつは自分にとって一番心地よいのかもしれない。悩んでいる時間を楽しんでいるのかもしれない。べつにそんなに楽しいわけでもないのに。
 なんで楽しくないのかといえば、お金にならないからだ。それでは生活が続かない。ビジネスとはそういう曖昧なものを許してくれない空気がなんとなくある。需要がなければビジネスとは成り立たない。需要を掴みにいく必要があるし、需要に寄せていく必要がある。需要を作る必要もあるだろう。それは自分一人でできるようなことではない。でも、こうやって揺蕩うのは、自分一人でやっていたいことだ。
 一人で、延々と揺蕩いながら、悩みの日々を書いていくだけの、そんな暮らしがしたい。徒然草のように。悩むだけなら一丁前である。それで生活を成り立たせることができるなら、どんなに楽なんだろうか。でも、それで生活をしようとした時点で、自分の求めている暮らしとはイコールにならないことも知っている。なんとも、もどかしい。「好きなことだけで生きていく」というのは、案外大変なことだと、改めて思うところ。そしてこんな自分も、1ヶ月もすればいなくなってしまう。

 1ヶ月前から日記をつけるようになった。最近、あまり書くことが無くなってきたなと感じている。寝坊と残業で何も書けなかった日が2日ぐらい続いて、そこから一気に億劫になってしまった感がある。
 1ヶ月前からお昼のお弁当を作るようになった。これもまた、2日くらい作らなかったことで、果たして明日ちゃんと作れるのだろうかと心配になっているところはある。
 どっちも、続けたら絶対いいことがある。あるに決まっている。それでも続かない。「続かない」ばかりが続いてしまって今の自分がいる。それだけなぜか続けることができてしまっているのは、なぜなんだろうか。

 ダイエットとは生活のスタイルを不可逆的に変えることだと言う。ある時期だけ頑張ろうとしても、それが終われば結局元に戻ってしまう(リバウンド)。太る理由になった暮らしに、もう2度と戻らないくらいがいいのだと言う。東京に来てから5年目、すっかり太ってしまった自分が今の生活を不可逆的に変えられるのかどうか、ここまで書いてみるといささか自信はないが、とりあえずのんびりと自分のペースで、やれるだけやってみようとは思っている。痩せはしたいのである。
 そう言う意味では、週1ぐらいのドカ食いは「今のところ」寛大な気持ちで接するようにはしている。ただ、なんとか夜ご飯には納豆を食べたいし、お昼は外食ではなくてお弁当にしておけた方が望ましくはある。その暮らしに、1年かけて向かっていくくらいのイメージで良いのではないか、と思っている。

 そういえば二つ、おそらく不可逆的に変わってしまった自分の生活スタイルがある。帰ってきてからの手洗いうがいと、寝る前の歯磨き。ここ二つは、少なくとも学生の頃はまともにやっていなかったし、2019年ごろまでも対してやっていなかった(そのせいで、歯が2本無くなった)。それなりに痛い目に遭わないと自分は変えられないのだろうか。それで取り返しのつかないことになる例もいくつも知っているから、そうはなりたくないのだけど、いかんせん「続かない」だけが続いてしまっているのである。

 本当は、そんな自分も許せるようになりたいのだけれども。世の中、なかなかうまくはいかないなと思う。最近、そのフレーズばかりが頭の中で繰り返される。世の中、なかなかうまくはいかないものだ。

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