4年目のシーズン

 関東暮らしも、とうとう4年目に突入した。一つのところで3年以上働いたことのない自分なので、この「4」という数字にはある種の感慨すら感じられる。気がついたら、ちっともニア・トーキョーでもなんでもないようなところで暮らしている。

 この1年は東京方面での仕事にも恵まれ、何度か霞ヶ関の方でも仕事をさせていただいた。高層ビルが立ち並ぶ中で、外を歩いている人たちの顔立ちや会話のそれっぽさを浴びていると、気分はまるで国家公務員である。その程度のことで、なぜか気分が高揚してしまう自分の俗物っぽさがつくづく嫌になる。こんな経験も3年前に宮城を飛び出す決断をしなければ得られなかったのだろう。

 コロナの自粛要請が緩和されたことで、幾分か暮らしやすさを感じられるようになった。幸いにもこれまでそれによる発熱も喉の痛みも味わわずにここまで来れたこともあってか、自分なりの対策に対して謎の自信もついた。これまでは外でも「アゴマスク」状態だったが、今では自信を持ってマスクを取っ払っている。(もちろん、室内で距離が近く換気が悪い時はちゃんとマスクをする)
 先週はついに渋谷にライブを見に行ってしまった。「渋谷にライブを見に行く」ことは、自分の中で「東京っぽいこと」の代表格でもあった。ようやく、関東でやりたかったことを少しずつやれるようになってきたのだ。こうでなくては来た甲斐が無いというものである。

 この3年というものの、旅行といえば人が少ない大自然の中に行くことだった。具体的にはチーバくんの輪郭をなぞるばかりで、それはそれで悪くはないのだけど、いささかダイナミズムに欠けるというか、どこも凸凹の少ないような風景で、若干食傷気味になっていたのも事実だった。そもそも、そんな自然は宮城でもうんざりするぐらいあったので、わざわざ千葉に来てまでそんな…という気持ちがあったことも否定はできない。次の1年は、宮城では体感できないレベルのコンクリートジャングルを思う存分満喫しようと思っている。(もちろん、九十九里の風景も大好きになった。勝浦に至っては随分リピートしてしまった)

 もともと、今の仕事は3年で辞めるつもりでいた。この3年で東京を満喫しながら貯金を溜め、世界一周の旅に出よう!というのを僕は2020年までとても真剣に考えていた。ところがコロナのせいでちっとも東京は満喫できないし、10年後にやろうとしていたことを今の仕事でどんどん出来てしまうし、戦争も始まってしまって一周は当分できないだろうし、挙げ句の果てに結婚までしてしまったので、もはやそんなモチベーションはこれっぽっちもない。実際は5%くらいあるかもしれないが。

 言ってしまえば、今の自分は目標も、人生設計も見失っている。5年後、10年後、どうなっていたいのか?3年前のように具体化することはもはや出来ない。自分一人の人生でないことを知っているからである。
 まるで想像がつかない自分の人生。もしかしたらその方が健全なのではないかとさえ思う。今はただ、身の回りのことを考えるだけで精一杯。それを「身の丈」というのかもしれない。

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