働くことについて2

 夜中に妙な文章を読んでしまった。なんとも言いようのない気分になる。言葉がない。

 「思っても言わない」という瞬間というのは確かにあって、それは「思ったけど言えない」とは明らかに異質なものである。だいたい、前者を選択できるときは自分の中で比較的余裕を持って人と関わることができているときであるが、たぶん今はそうではない。そうではないので、こういった「思っても言わない」を選んで生きている人の記事を読むと、言葉が出てこなくなる。

 別の文章で、この平田さんは「自己矛盾」について触れていた。一人の人間として、他者の自由を尊重したい気持ち。経営者として、他者の自由を制限したい気持ち。二つあるのだろう。この辺りのバランスを取ることの難しさを、最近よく感じる。ちょっとでも調子が悪くなると、すぐにバランスを崩してしまう自分のことが自覚できる。疲れている、休めていない、思ったように時間を過ごせない。なにか1つでもゲージが貯まるともう途端に変な方向に行ってしまう。そうならないように、疲れる要因というのはなるべくなるべく減らすようにしているのだけど、これまた少しどこかが崩れるとあっという間にダメになってしまうので、難しい。

 このバランス取りゲームを、いつまで続けていけばいいのだろうか?というのはたまに思う。だいたい、こういうふうに感じている時はバランスが取れていない時。でも例えば、リーダーにいるような人はそういった姿を見せない選択をすることがある。なぜなら、見せることが組織にとってマイナスに働く瞬間があるから。だから言わない選択をする。
 昨年度から少しずつわかってきたことだけど、管理職がそれをやっちゃあおしまいよ、みたいなものが確実に何項目かある。これが、とにかく持っているものはフルオープンにする、良いところも悪いところも飾らずにとりあえず見せてみる、というのを心がけてきたここ3年くらいの自分にとっては結構難しい。ただ、ちょっと前に比べれば、悪い時は悪い時なりの時間の過ごし方というのが身についてはいると思っている。大崩れはしない…はずなのだけど。
 こんなふうに苦しむたびに、自分の人生経験の少なさみたいなものがほとほと嫌になるし、こういう仕事は50代がやるようなものなのに…と愚痴をこぼしたくなってしまう自分もいる。自分で選んだ道と言われればそれまでなのだけど。

 あとは、やはり…改めて、自分の価値観と合わない部分はどうしてもあると思った。何度となく感じているのでおおよそ間違っているわけでもないのだと思う。価値観というか、判断基準という言い方の方が正しいのかもしれない。それは得意ジャンルの差異も影響しているように感じている。その得意ジャンルの部分を、うまく発揮できていないなあ、と感じることもたまにある。この部分に上手に当てはめてもらえたら活躍できるのになあ。そこが上手に当てはめてもらえないのは、それが思ったほど利益を生み出さないからで、そこに当てはめられるほどの体力が組織にないことの証左でもある。結果、なんとなく燻ることがたまに発生する。ある程度割り切っていても、調子が悪いと顔を出す。
 ここにいることで、得られるものがあるからここにいる。そのリターンとして当然、やりたくないことも地味なこともつまらないことも待っている。それはそれとして、楽しいことは自分の時間で消化できるなら別にいい気もしている。となれば、いま求めるものは「自分の時間」なのかもしれない。それと給与がトレードオフになるというならそれは当然飲めないので、組織のためにつまらない顔をせずにやっていくほか無いのだけど。

 まあ、調子が悪いと言うことで。考えすぎなので、早く寝たほうがいい。

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