#3 今できることをやるしかない

 昨夜、寝る前にふと、なぜだか夜勤をしていたことを思い出した。

 はっきりとは思い出せないが、二十代中盤の頃だ。当時僕は週に五日、十時から十八時半まで昼のバイトをしていた。

 一応やりたいことはあったが、どうしたらいいか分からず、完全に行き詰まっていた。そして、途方もなく貧乏だった。給料が入っても、家賃や光熱費を払うと残りは三万円くらいで、ひどいときは三万円も残らなかった気がする。今思うと、その頃どうやって暮らし、何を楽しみとしていたのか分からないが、それでもどうにかこうにかやっていた。

 ただやっぱり、油断すると憂鬱に飲み込まれそうになり、三十歳が見え始めてくると、自分の将来を考えるだけで息が詰まりそうになる。

 追い打ちをかけるように家賃の更新なんかでお金が飛ぶと、お先真っ暗の現状にくらくらした。

 やがて、現状を打破するには、とにかく自分がやりたい分野についての学校に行って、そこから何か取っ掛かりを掴むしか無いという考えに絡め取られていった。今になって考えれば、他にいくらでもやり方があったような気もするが、その時の自分には、それくらいしか浮かばなかった。

 もちろん、昼のバイト代だけではその学校というかスクールのような場所で学ぶ授業料を賄えないので、夜勤をすることにしたのだ。

 昼のバイトに加えて、深夜の棚卸しのバイトを週に2~3回。棚卸しのバイトを選んだのは、シンプルに楽そうだったから。昼に働いて、夜まで肉体労働では辛すぎるし、続く気がしなかった。

 僕が始めた棚卸しの仕事は、腰にまぁまぁの重さのデカい電卓のような機械を下げて、ひたすらお店の中の商品を数えてはその個数をそれに打ち込んでいくというものだった。一見単純そうだが、効率重視のために手の感覚のみでキーボードを見ずに数字を打ち込めと言われ、とにかく早さを求められた。昼にバイトをし、一度帰って2~3時間の仮眠だけを取り、聞いたこともない街のスーパーなんかに行き、日付が替わるころから始める作業に、僕の体はついていかなかった。

 入りたい時に入れるバイトだったため、何度も行くのを辞めようかと思ったが、ここで逃げたら人生終わるかもしれないと、なんとか授業料分を稼ぐまで、たしか二ケ月くらいは続けた。

 その夜勤のバイトは毎回入る人も変わるため、いつもほぼ初めましての人で、まったく馴染むことは無かった。休憩中、その仕事だけで食っているであろう人たちは煙草を吸いながらギャンブルについてひたすら喋っていた。お前もいまサボったらこうなるぞと、自分に言い聞かせて何とか耐え、お金が貯まるとすぐにその仕事は辞めた。

 実は今もまぁまぁ行き詰まっているから、こんなことを思い出したのかもしれない。

 そして、やっぱり今できる最大限のことをやるしか、この状況を抜け出す方法は無い。

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