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トゥールスレン博物館に行ってきた話

先日、東南アジアを一人旅した際にカンボジアにある
トゥールスレン博物館へ訪れてきました。

心の準備はしていたものの、あまりにもショッキングで、
自分の感情を整理するのにたいぶ時間がかかりました。
(書き始めてから投稿するまで、1年くらい経ってます笑)

トゥールスレン博物館を訪れて感じたこと・考えたことを
ここに残しておきます。

トゥールスレン博物館とは

ポルポト時代に起きた、カンボジアの大虐殺を記録した博物館。

元は中学校の校舎だったところを、刑務所に転用。
粛清という名目で、多くの一般市民が拷問され、処刑されました。

収容人数である17000~20000人中、生き残ったのは8人のみ。
各部屋には、実際に使用された拷問器具や独房、被害者の方々の写真や遺骨がびっしりと展示されている。

建物の中は写真撮影禁止だったので(写真を撮るような余裕も無かった)、写真はありません。

もし気になる方はGoogleで画像検索してみてください。

まず最初に気づいた2つのこと

元校舎だったこともあり、見た目は何も変哲もない建物。
豊かな自然に囲まれ、のんびりしている管理人さんが座っていて
南国らしい静かで穏やかな雰囲気だった。

早速敷地に足を踏み入れ、敷地全体に張り巡らされている有刺鉄線に気づいた時は、ゾッとした。当時使われていたものがそのままだった。

少し指先で触れてみた。物凄く痛かった。

想像よりも、針が太くて鋭くて。。。
これをよじ登って脱走するのにはとても無理だと直感的に思った。

正直、有刺鉄線の写真を見るだけだと「頑張れば、なんとかよじ登って脱走できないかな?」とか思ってたが、あんなぐるぐる巻きになってる有刺鉄線をよじ登るのは到底不可能だ。

そしてもう一つ、気づいたことがある。

それは、建物の各部屋の上につけられている換気口が、不自然に板で塞がれていたこと。音声ガイドの説明によると、収容者を拷問する際の彼らの叫び声を、周りに聞こえないようにするために設置されたそう。

それでも、苦痛の叫び声は漏れていた、という証言もある。
今でも彼らの叫び声が聞こえてくるようで、すごく怖かった。

A棟の一階にある尋問部屋

A棟では、実際に使用された拷問器具や、各部屋で拷問されて亡くなった収容者の写真が展示されていた。収容者の血の染みがまだ残っていた部屋もたくさんあった。正直、どれも直視するのさえ苦しいものだった。

無意識に、何度も、重くて暗い闇に引き摺り込まれそうになる。

その度に、ふと建物の外に見える、穏やかな南国の景色を見ることによって現実に引き戻された。その時の安堵感は、言葉では表せない。

Survivor's Room(生存者の部屋)

この拷問施設ではごく僅かではあるが、奇跡的に生き延びた人もいる。
「Survivor's Room」という部屋が一つあったが、そのサインがとても印象的に残っている。

なぜなら、そのサインがあるところ以外の収容部屋にいた人は、
みんな殺されてしまった、という事実を際立たせていたから。

その残酷すぎる現実に、ものすごいショックを受けた。

先進国の責任

なぜこんな悲惨なことが長い間行われてしまったのか。

自国の利益のために自分の手を汚さずに他国同士で争わせ、
ポルポトという怪物を生み出してしまった責任は大きい。

世間の無関心も、この虐殺を長引かせてしまった原因だと思う。

今も耐えられないほどの痛みを生きる人々

これが起きたのが50-60年前。

つまり、今カンボジアに生きている多くの人が当時の記憶と共に生きているってこと。多くの人は、家族や友人を悲惨な形で奪われている。

行方がわからなくなった家族を探すために、被害者の写真が展示されているこの博物館を訪れた人も多かったそう。

もし、私の弟や妹、親をこの写真の中から探さなきゃいけない状況になったら、どんな気持ちだろうか。果たして耐えられるかな。

あまりにも多すぎる人たちが犠牲になって、その家族や友人が一生消えない傷を負った。その悲しみや恐怖を受け止め切れるほど、私の心はたぶん強くない。想像するだけでも耐え難い。

歪んだ正義感

怖いなと思ったのは、クメールルージュのように歪んだ正義感を振りかざし、罪のない人や被害者を、裁こうとする人がこの世界にはたくさんいるということ。とても他人事とは思えない。


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