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夢記録(2024.01.05)

*夢を忘れないため、分析するため、のノート*

2024年1月5日の夢

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学校の2階にて。
ふと窓の外を見ると、
洪水が押し寄せていて 1階部分が完全に水没しているのが見えた。

ものすごい勢いの水流が押し寄せていて、
一瞬で豪雨による洪水だとわかった。

何百キロにもわたる土砂崩れが
ケアンズの方でも起きているらしい。

ゴールドコーストの海側は大丈夫だけど、
私のいる山側に大きな被害がたくさん出ている。

あっという間に2階にいた私たちの足の部分まで
すごい勢いで水が流れて来る。

どんどん水位があがり、流れも止まることを知らない。

自然の圧倒的なパワーに、恐怖と絶望を覚えた。

もうこれ以上水位は上がらないで…お願いだから…と祈っても、
自然は残酷で、哀れの心などない。

人間の祈りや感情など知る由もなく、
ただただ建物を物凄い勢いで飲み込んでいく。

あー、私の人生ここで終わりかぁ。
魂がやりたかったこと、見たかったこと、
全部やり遂げたのかなぁ。。。

ちょっぴり、後悔を感じながら死を覚悟した。  

その時ふと足元を見ると、猫がいたので、
助けようと思ったら、さらに、上に行けることを知った。

山肌をさらに登った。なんとそこには立派な家があって、
見知らぬおじいちゃんが住んでいたのでそこにみんなで避難した
(もうその顔は思い出せないのだけど)。

にこにこ、微笑んでいたのが、私の心をほっとさせた。

水位はそこまでは上がってこないようだった。
なんとかその場にいたみんなが命を取り留めた。

水位は下がり、下山できるようになった。

******

ここで、夢は終わり。


そこから、思い出したこと

夢の中で感じた感覚が、リアルすぎて
起きても夢なのか現実なのか、
すぐにはわからなかった。

そして、そこから
いろんな記憶が蘇ってきた。

自然を前にすると手も足も出ない、圧倒されるあの感じ。
おそらくほとんどの人の記憶から消えているだろう、
2018年に起きた北海道の東胆振大地震を最初に思い出す。

真夜中3時過ぎたころ。

高校生だった私は札幌にある下宿で
スヤスヤ眠っていた。

その時、大きな揺れが突然始まり、
一瞬で恐怖に飲み込まれる。

さらに揺れが激しくなる。

いつこの揺れが止まるのか、もっと激しくなるのか、誰もわからない。
この地震が、本震なのか余震なのかすらもわからない。

棚が倒れ、引き出しから物が飛び出し、全て床に散りばめられた。
命の危機を感じて、咄嗟に枕で頭を覆ったのを覚えている。

震源地がすぐ近くだった実家とは連絡がつかなくなり、
家族の安否も確認できないまま、
その夜は不安がいっぱいで涙を流しながらもなんとか眠りについた。

二日後くらい?に地元のネットが回復して、
家族の無事を確認できました。
それでもしばらく電気や水は止まったまま。

たくさんの命を飲み込んだ土砂崩れの跡は、
4年経った今でも実家に帰るたびに、いたるところから、
目に飛び込んでくる。



そして、もうひとつ。

3.11後のお手伝いボランティアに行った時のことも思い出した。
地元の方が南三陸にある、とある高台に連れて行ってくれた。

春の黄緑色の草に包まれた、町を見渡せる広い丘で
静かで平和な場所だった。

でも、当時、多くの人が逃げたその高台には、
無慈悲なことにそこにも大波が押し寄せ、
全員の命まるごと飲み込んでしまった。

もしかしたら夢で私が感じていた気持ちと、
流されてしまった人たちの気持ち、
どこか重なる部分があるかもしれない。

何も予測できない。
ただただ恐怖と諦めと悲しみを感じることしかできない。

何かや誰かを責めることこともできず、
戸惑いと怒りと後悔は消化されずに、
重たくずっしりと体の中に残る。

あぁ、今ガザにいる人たちはどんな気持ちなんだろうか。
これは相手は自然ではなく、同じ人間。
想像すらできない悲しみと怒りと絶望とが、
どんどん大きくなっていく。
いつ終わるかもわからない侵略に、
心を麻痺させてしまった人もたくさんいるかもしれない。

そんなことに思いを巡らせた朝でした。

さいごに

能登半島地震やJAL機体炎上、
ゴールドコーストでの嵐や洪水被害のニュースなど、
激しいニュースがずっと飛び込んできて、心が痛む日々です。

どうか被害が少しでも小さく治りますように。
懸命に救命作業をされている方が安全に作業をできますように。
行方がわからなくなっている方々が、
少しでも早く家族のもとに帰れますように。
傷ついた心が少しでも早く癒されますように。

今朝の夢を見て思ったのは、これからのニュースに
自分が思っていたよりも影響されていたんだと気づきました。

心が痛むニュースは永遠に流れてきて、
でも、私ができることは限られている。

いっそニュースを全部見るのをやめてしまおうか、とも思いました。

もちろんその選択も尊重。
自分の心を守り、幸せでいることが何よりも大切なのでね。

でも、朝起きて、歯を磨きながら、
頭の中にこんな言葉が降ってきました。

知った者の責任

一度、その事実を知ったからには
何かしら自分が納得する形で
アクションを起こさなければいけない。

それは誰のためでもなく、
自己一致のため。

自分の中に矛盾を
生ませないために。

いずれこの命が終わるときに、
「魂が経験したかったことを全部やり遂げられた」
と心から思えるように、自分にも周りにも誠実に
生きていきます(^ ^)


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