所感

田舎に帰ってきた。玄関に染み付いた牛舎の匂い。

空港から家まで、何にもなくて時折笑ってしまった。ここにはなんにもないがある。

私はここで暮らしたことは無い。転勤族の父に付き合い、寮に入る高校生まで北海道内を点々とするのが当たり前で、ここには住所しか置いたことがない。それでも私の家だった。住む場所にこだわりを持てない私にとって、そこに誰がいるかが大事だった。

元々は酪農業を営んでいた祖父が住んでいた家に両親は暮らしている。幼い時に何度か訪れただけの家を私は図々しくも実家と呼んだ。

本当に何も無い土地だ。数年前ようやくスターバックスができた。図書館は私の通っていた少し大きな街の、決して頭がいいとは言えない高校の図書館より少し大きいくらい。演劇なんて、コンサートなんて、美術館なんて、ない。文化レベルが低いのだ。私は上京してすぐに悟った。何かが育つ素養がない。培ってきたものがない。

求められるのは簿記の資格と、運転免許とトラクターの運転技術、村社会でヘラヘラと笑う能力。虚学の居場所なんてどこにもない。数字と、土と、緑が支配する土地。あと時々温泉。インバウンド頼りだった観光街は、もうとっくに鄙びてしまっていたのだけれど、このコロナ禍で更に力をなくしてしまったように見える。

町おこしの政策はどこか明後日を向いていて、人々は老化し、子供の声は消えて久しい。静かに町そのものが息絶えていく、日本の縮図のような場所だった。

私はこの町に暮らす両親の気持ちがわからない。県庁所在地にも住んだことがあるし、度々商談で関東を訪れている彼らが、その土地以外を知らないわけが無いのだ。だからこそ教育格差を少しでもないものにしようと私たち兄弟に通信教育やそろばんをやらせたのだし、都会の魅力を知ってるから僻んだりせず私を関東に送り出した。土地に縛られたがってるようにしか見えない。

母はこの町で、この家で育った。父も、この近くの町で育った。私は生まれた土地の記憶を持つ前に、住処を転々とした。その違いなのだろうか。歳を取れば私も、土地の呪いを自覚するのだろうか?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?