最後には「ありがとう」と書いていたい

いつの間にか7月の真ん中を歩いている。下半期が始まっていた。
わたしは夏が苦手というか、暑さと眩しさが苦手だけれど、
なぜか、夏がいい転機になったりする。だからか夏の苦手と好きなことが
一緒になって憎めない夏になる。
今年は、何故か人生の集大成のようなエピソードが色々と出てきていて何でなのか不思議だなと最近思えるようになってきた。
小説でいえば最後の章のようなものなのか(小説をあまり読まないからよくわからないけれど)この先はどうなるのか、少し見えているけれど見えていないような
そんな感じに似ている。こんな時、小説を読む人であれば、あの作家さんの何の作品のあの文のようなところ…とか言えるのかと思うと読めたらいいなと思う。

いつからか、手帳や日記を3年経ったら処分するようになっていた。
わたしは忘れてしまう生き物なのに忘れたくない大切なエピソードがあったりする。その忘れたくないものなのに、日々の積み重ねで忘れてしまってがっかりすることがあるから、たまに振り返ることができるように手帳や日記を読み返したりする。ただ、忙しい時や書きたくないときは書いていなかったりして、
結局振り返ることができず、そんな自分にがっかりしたりする。しっかりしてそうで、ぽやっとした性格だからか、詰めが甘い。
最近は、1年置きに処分しようとするけれど、本当に忘れてしまうから、手を止めるようにしている。
ある時、ふと悩んで、そういえばどんな日々を過ごしていたんだっけと日記のようなメモを振り返ると 何とももはや、どんな本にも書いていない、一体誰が書いたのだろうというような言葉が書いてあったり、そのときに必要な思考を昔のわたしが教えてくれたりする。
日々は過ぎていく、そのときのめいいっぱいの感情も薄れていく。
けれども、大切なものはそんなすぐには変わらないし、大切にして育てて行きたい。一人でのこと、誰かとのこと、お仕事のこと、いろんなことがある。
人それぞれ、いろんなことがある。
感情を言葉に変えることができないとき、どんな風にそのことをカタチにするのか、そもそも伝える必要はないのか、そんな風に頭と心の中で堂々巡りをしていると日々だけが過ぎていく。歩くペースも走るペースも違うから、同じ時間があっても人それぞれ違うペースで生きている。
そんなとき、自分のことを知ることができていたら、良いペースで先へ向かって動いていけるのだろうなと感じた。
いろんなことを周りの人が教えてくれて、気づかせてくれる。
本当に嬉しくてありがたい。人はきっと人との関わりを持って、人であるのだろうと思う。どんなにページをめくっても最後には「ありがとう」しか書いていなかった、わたしの日々のメモを見て、そんな自分を忘れないようにいれたら良いなと思う下半期の真ん中。



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