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ケアワーカーの日常? 目の錯覚

「着物を着た女の人が立ってた」

そう言って、小さく震える爺さん。
いつもはカーテンで間仕切りして、携帯型トイレで自力で用を足して夜を明かす人。
なのでほとんどお呼びは掛からない。

その爺さんから珍しく呼ばれたので伺ったら、そんなことを告げられた。
深夜の2時、夜勤もまだまだこれからという時になんとも身の毛のよだつ思いだ。

全てのお部屋を伺う巡視で、点けなくてもいい明かりを勝手に点けて回り、
「オバケなんて無いオバケなんて無い」と心の中で唱えた。というより言い聞かせた。

夜勤を共にしたもう1人のスタッフも、
「○さんがそう言うとリアルで嫌だね」と苦笑い。
認知症を患われた方が大半であるため、何かしらが見えたと言い出すお方や、何も無い方に話しかけるお方なんてのはザラなので普段は気にしない。しかしその爺様は自分たちの名前も覚えてくださるくらいのお方なので、スタッフが言うとおり実にリアルだ。だからこそ、自分もバタバタとあちこちの電気を点けてパニックだった。

その夜、更によくなかったのは、夜勤を共にした看護師が"その手の話"で盛り上がるタイプの人だったこと。

爺様の報告を聞いて看護師は「来た来た」と言いたげなほどの笑みを浮かべて、過去にも怪奇的な話は山ほどあるんだと、以前にも聞かされた話を次々に話し始めた。毎度この看護師には夜勤中によく聞かされていたのだが何故だか妙に得意げなのが嫌だった。

「スタッフの詰所のドアの辺りがイヤだ」とか
「一番ヤバいのは1階ロビーの辺りだ」とか

爺様の一件が火をつけてしまってか、看護師の"怪談(?)"は、夜が明けて日勤スタッフが揃っても続いた。

さらにさらによくなかったのは、日勤者の中に、"その手の話"のお好きな先輩がいたこと。「私も見た!」と始まるともうお手上げである。

「昼間に変な電話がかかってきた!」とか
「通り過ぎた部屋の中に家族が来ていたと思って見返したら居なかった!」とか

この盛り上がりが加熱してくると、自分の恐怖心は反比例して冷めていくため、逆に助かる。

はずだった。

もっともっとよくない事態。
点と点が結びついた。

夜の爺様の告白。
爺様が着物を着た女の人を見たという話、
日勤で来たスタッフの人影があったので見返したら居なかったという話、
どちらも同じ部屋での出来事。

そうあって、
"その手の話"ペアは盛り上がるばかり。
「幽霊は居たのだ」と実証できたと喜ぶような光景だった。自分にとっては迷惑な話である。

〜〜〜〜〜

そもそも自分は、とある話を幾らか聞いてからというもの、怪談だったり幽霊などは信じなくなった。

1つは、
とあるラジオパーソナリティが怪談好きで、色々と創作で人に話して聞かせるのが好きだった。若手の後輩たちにも度々披露したりしていた。
ある日、1人の後輩から「怖い話があるんです。人から聞いた話なんですけど..」と聞かせてきた話に違和感を覚えた。どこかで聞いたな??何を隠そう、自分が作った話だったらしい。しかも、「誰かの体験談」と銘打たれて披露されたそうだ。
その「誰か」は明らかに嘘つき。なぜなら俺の作った話だから。

つまり、怪談話やエピソードは、人の妄想やイマジネーションから起こった事。それを誰かがイタズラ心で人に伝えて、変化して、巡り巡る。果ては都市伝説にまでなる。

従って、幽霊は居ない。

もう1つ、
「錯視」という現象がある。
2本の矢印の長さが違うようでどちらも同じ長さとかの類で、ある決まった模様が重なると、部分的に見えなくなる現象が起こる錯覚。
タレントが取材のためにその手の実験をしたらしいが、2人組のタレントの片割れは、あまりのことに怖くなってパニックに陥ったらしいが、もう1人はその場を進行させようとクール。そのクールさが怖くなったという笑い話。
そのやりとりを側で見ていた怪談好きのラジオパーソナリティ。と、言うことは、光の加減や距離感などで例えば歩いている人のTシャツに描かれた模様が条件に一致した場合、その人の姿が見えなくなってしまうなんてこともあり得るのではないか?と話す。妙に合点がいくし、あり得なくない話だ。

この目の錯覚を信じてしまい、"その手の話"に変化。"その手の話"が人から人に蔓延する。

従って、幽霊は居ない。

という自分の理屈も中々にメチャクチャだし、
唱えてみたこの理屈もまた人伝ての話だから不確かだし、

まあ、ひとつの安心材料というより「御守り」みたいなものとしてそう考えるのもアリでしょう。

夜勤中の暗がりなんて「錯視」の宝庫。
今日も窓際の植木が人の姿に見えてビクッとしたものだった。

「錯覚だ。オバケなんて無い。」そう思わないと、夜勤なんて出来やしないのだ。

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