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感謝の罫線引き|電車の運転士さんって、有りがたいんです

 バスを降りるときに、「ありがとうございましたー!」と"当然のように"運転手さんに挨拶していくお子さんを、よく見かける。

 負けちゃいられない。ならばこちらは乗る時もだ!

 ……などという競争心からではないが、ワタシも、バスに乗る際と降りる際には必ず挨拶をするようにしている。いつから始めたか(再開したのか?)記憶が定かでないものの、それなりの年月、続けているはずである。
 きっと多くのお子さんたちの姿から、知らず知らずのうちに感化されていたのだろう。

 どうも乗り降りはスムーズでないといけないという緊張感が、バスには漂っている。だから、降りるときの挨拶なんかに対しては「そういうのイイから、早く降りてくださーい」みたいに思う運転手さんも、いらっしゃるのだろうか。いらっしゃるかもしれない。……いや、手応え的には高い確度で、いらっしゃるだろう。

 というのも。挨拶をしようと、やや歩みのテンポを落とした瞬間に、ピリッとしたような(降りないの?シめるぞ?的な)空気になったのを感じた、実体験があるのだ。
 もしかしたら当時の運転手さんが、偶々これを読んでくださっているかもしれない。……ハイ、あの時の、ワタシです。その節は、己が信念を貫かんとするばかりに、自己満足で、ご迷惑をおかけしてしまい……申し訳ありませんでした。
 というわけで、ワタシの考え過ぎではなければ、煙たがる方もいらっしゃる。個人的な体験を抜きにしても、いらっしゃったとしてもおかしくはないと思う。バスというのは道路状況に影響を受けやすい交通機関であるが、だからと言って、ゆったりとした運行を許してくれる時刻表・ダイヤではないし、この国(少なくとも……特に、都心部)の文化や空気も、それを許してはくれないからだ。

 しかし。煙たがられたとて。やはり、言いたい。伝えたいとワタシは思う。
 乗車時の「よろしくお願いします」と、降車時の「ありがとうございました」の挨拶は、これからも続けていきたい。

 説明するまでもなく、バスというものは"目的地まで運ぶ"というサービスを提供してくれるものであり、その代わりに我々は、対価として"運賃"を払っている。
 では、運賃にプラスして「ありがたい」と気持ち・言葉を伝えることは、その上乗せは、対価の払い過ぎだろうか?
 コチラが損をしていることになるだろうか?

 ……そんなことはないだろう。そんな風に考えたくはない。
 たしかに、「しょせん仕事」──そういった考えから就いた職であったり、消極的な気もちで輸送という業務を遂行しているだけであったりするかもしれない。
 しかし、その一人の運転手さんが仕事をしてくれているおかげで、我々は、車や車庫を所有していなくても・自転車を頑張って漕がなくても、遠方へ出かけることが可能になっている。

 決して、"当たり前"なんかではない。

 "有りがたい"ことだという認識を忘れずにいたい。

 ……ここまで書いてきて、ふと思った。電車の運転士さんは?駅員さんは?
 少なくともワタシは、こういった方々に挨拶をしている乗客を、お子さんを含め、見かけたことがない気がする。

 繰り返しになるが、改めて書かせていただこう。電車の運転士さんだって……電車の運転士さんって、有りがたいんです。有りがたい存在なのですよ。
 もちろん、駅員さんだって。
 それから、そう。駅の中や駅前などのコンビニの店員さんだって。

 駅から遠い立地のコンビニで働く店員さんも、コンビニに限らず、スーパーやドラッグストアの店員さんも。
 朝早くから・雨の日でも、ごみを回収してくださる業者の方々も。
 日が沈んでから、道路工事や交通誘導の仕事をしてくださっている、アナタも……。

 バスの降車時とは違って、声をかけるタイミングというのが、なかなか難しいかもしれない。
 だが、必ずしも言葉にしなくても、会釈だけ・頭を下げるだけでも、その一瞬、繋がった線の上に、感謝の念を乗せ・伝わせることはできるんじゃないだろうか。

 そういうわけで。ワタシは、たとえ感謝の気もちを伝えきれなくとも、相手との間に線を引く行為を大切にしていきたい。何万回も続けて、ぎこちなさや恥じらいが生じないくらい、自然な習慣として根づくまで。

 欲を言えば、決して強要することなく、それが周囲に広がっていくことを祈りながら……。

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