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このうすくあつい鈍感さ

指を掘/彫ってしまった。

右手の親指の第一関節を、左手の親指の爪で。ほんの少し、厚さ0.1ミリに満たないけれど、深さは深さであり、浅さは浅さである。

ふかさふかさ、あささあささ。繰り返すと擬態語や擬音語のようにも思えてくる。ふかさふかさと枯葉のつもった木の下は真っ黄っき。ふかふかでもなく、かさかさでもない。ふかふかでもあり、かさかさでもある。ふかさふかさ。響きから連想する景色と感触が出会うところ。文字で見てみるとまた違う発見がある。あささを眺めたら「あちち」と栗を両手で転がす江戸っ子が飛び跳ねて、その顔は赤らんでいる。

指だ。皮が薄く(厚く)剥けたところは洞窟のようなアーチを描いて、じくじくと透き通る赤い色をしている。すこーし剥がされただけでまったく違う色と質感。そういうことがわかるのに、じゅうぶんな厚さ。洞窟の奥には眠れるヒグマのおなかがふくらんではしぼんで温かいのかもしれない。その赤黒い毛はちくちくしている。撫でてあげたいやさしい気持ちは血だらけの手を癒さない。かすかに吹いてくる寝息はナッツと最後に食べた赤い実のにおいが交互にする。わたしが叫んだ声が洞窟の壁にぶつかり戻ってくるまで13秒。

指だ指だ。こうやって、無意識に自分の仕草によって身体を磨耗させていることがよくある。何かにぶつかって青痣を滲ませたり、指や脚が曲がったり、毛髪がちぎれたり、今回のように自分の皮膚を掘/彫ってしまってようやく気がつく。最近は遠隔で人と「居合わせる」際に、画面に映し出された自分の顔を気にしながら話すようになった。だからそういう発見がふとした瞬間にやってくる。ぶん、と振り向いたわたしの髪の靡き方が鋭利すぎて、その頭突きの速度とバネに驚く。わたしの近くにいる人は、いつ怪我をしてもおかしくない、と思うことがよくある。

右手の親指の穴。「掘った」と思えばスコップ片手にいい笑顔で汗をぬぐう私が見えるし、「彫った」と思えば、大きな彫刻刀をシュッシュと滑らせ、口角を上げて得意げにこちらを一瞥する私が見える。眼鏡を、かけている。

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