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Music and Sound Quality -5 音質とは

「音楽が持つエモーションをきっかけに、あと少し音楽へ近づくこと。そして、その音楽のエモーションの受け取りが、あと少しでも多く出来る再生音質の実現について、日ごろもろもろと思うところを書いていきます。第5回目です。」

(最初の投稿から1年が過ぎ、内容の見直しと加筆修正をしています)


はじめに

今回から6回に分けて、音質と音の受け取りという、明確に答えることが難しい事柄について、私なりの考えを基に話を進めていきたいと思います。

“音楽の音質”と一言で言っても、例えば演奏者あるいはリスナーなのかなど、その人の立場によって、または演奏・モニター・制作・再生など、どのような場面なのかにより、求められるものは変わってきます。

そのために、高名な音楽プロデューサーの言葉や考えなど、ある特定の人の価値観が、一般的に音楽を楽しむ時にそのまま当てはまるとは限りません。また場合によっては、再生機器で意図された使用環境と、実際の使用条件の不整合が起こることもあります。

音質について語る時は、どのような立場や場面で考えるのかを明確にすることが重要です。この「音楽と音質」では、一般的なコンスーマー製品にとって重要な、日常生活環境の中での再生音質を念頭に置いて、進めていきたいと思います。


音楽・音認知の不確実さ

"聞くこと" とは、鼓膜の振動情報が様々な感覚器官での刺激の変換・伝達を経て、最終的に脳で処理され認知されることです。

サイレンの赤色や青LEDライトのように、色彩が気持ちに影響を及ぼす効果は、様々なところで利用されています。これと同じように、音もその組み合わせや音色さえもが、人間の基本的な感覚や感性と直接的に結びついています。

その上でさらに、個性の一部である個人毎の感覚特性や、慣れ親しんだ音のような過去の経験値が、音質や音楽の認知に影響することになります。

このために信号音などの機械的な音に比べて、音楽の音では感性の共鳴程度が受け取りの質に、より大きな影響を与えます。


そのような感覚や感性をもって作り出され、そして受け手側の感覚や感性で受け取られる音楽の音を、数値や言葉だけで説明することは不可能です。そして人の個性の違いにより、受け取る内容そのものが異なるようなことも、当然起こり得てしまいます。


音質の実体

このように、明確に定義できる基準が存在しない音質を理解する最善の方法は、まず自分自身の判断軸を確立することだと思います。そして自身の判断軸を確立するためには、客観的な状態として音がどの様にあるべきかよりも、どのように自分に伝わるのかという主観的な価値から考えると解りやすくなります。

また、その軸は揺るがない正解である必要は無く、あくまで現時点での判断軸であり、今後経験値が増えるに従い随時更新されていくものです。

では、音楽の音質とは何かと、改めて問われた時に確実に言えることは、「音楽のエモーションが、より多く伝わるために必要な音のクオリティ」であるということです。


とは言っても。。。 現実的に音質と向き合う時には、様々な疑問が出てきます。

どの程度の音質があればよいのか
楽しめれば音質はそれで十分ではないか
ハイレゾは本当に良い音なのか
目指すべき音質は何か
そもそも正直、音質ってよく解らない。。


音質とは何なのかということを考えてきた中で、自分なりの考え方が徐々に形作られてきました。次にその中から、そもそも聴くということはどういうことなのか、という部分から書いていきたいと思います。


見ること、聞くこと

エンタテイメント機器において、Audio とVisualは二つの大きな柱とも言えます。それらの受け取りに使われる聴覚と視覚には、それぞれの感覚の特性の違いからくる差があり、そのことがAudioやVisual機器の価値や特性にも影響を及ぼしてきます。


視覚の場合

まず視覚の場合では、物を見るために光が必要になります。可視光線の波長は約0.4㎛~0.8㎛で、2cm~16mの音波と比較すると、非常に短く強い直進性を持っており、またその伝達速度も非常に速くなります。

このために、見えている状態と実際の物の差異は一般的には小さく、その結果「見える様=事実(リアル)」として認知されます。例えば、目の前に敵の姿を認めたときには、視覚情報である敵の容姿など、見えたままの情報が意味を持ち、事実として認識されます。

また見るということは、物体で反射された光エネルギーを検知することです。この時に見えている多くの物は、光が当たったから見られてしまっただけで、「見られる」ための主体性は一般的には低いと考えられます。


聴覚の場合

一方の聴覚の場合は、音は空気や水などの各種媒体の中を波動として伝わり、長い波長の特性として、光では不可能な非直線的経路でも伝播して耳まで届きます。

そして音は、比較的身近な自分の活動範囲内に存在するものが、理由を持って動いた結果発せられる場合が多く、音には当然その音が発せられたことの理由が含まれています。

例えば、敵が物陰に隠れ見えなくなった時に、その足音や息遣いが聞こえているとします。あるいは地面から伝わる地鳴りなど、その音の向こうにある、危機をもたらすかもしれない存在に意識が向かいます。


このように、聞くという行為では、音を発する存在やその理由の認知が、より重要な意味を持ち、仮に伝播する媒体の特性で音そのものが多少変化したとしても、音の価値は損なわれないことになります。


映像装置での表現

次に現代の再生装置においての、見ること・聞くことについて考えていきましょう。

近ごろのテレビの画質向上には、驚くべきものがあります。しかし、そのような高画質な映像であっても、現実の3次元世界そのものの感覚ではなく、2次元に変換され端末上に表示された高画質映像として情報を受け取ります。また、映像装置上での表現そのものに十分な価値を認めて受け取るので、そもそも現実世界の膨大な情報の正確な再現までは求めません。

3Dや8Kの高精細画像が「立体的、あるいは本物の様に見える」といっても、それはあくまで記憶・経験をもとにした「的な映像」であって、現実の体験と比べたときには大きな差は存在しています。


そのような背景があるので、テレビの画質スペックも実世界を見る場合との差で語るのではなく、解像度・ビット深度・フレームレート・色域・輝度などのような、定量化できる数値的な性能で十分に表すことが可能なのではないでしょうか。

更に、見られることに対する主体性・意思・意図の割合が低いという事が、被写体の状態の忠実な再現よりも、例えば真っ青な空ように、その被写体が一番きれいに見えた時の記憶の再現に偏る傾向に繋がります。

その結果として、リアリティの再現よりも彩度やコントラストが高く、人工的ではあっても印象的な絵作りが好まれるのだと思います。


音楽再生での表現

一方、音楽を構成する音とは、人間が自ら意思と意図を持って作りだす事象です。

楽曲音源は収録原音を様々に加工し、ミックスなどの編集を加えた作品として制作されます。また再生機器の特性や再生環境でも、再生される音は大きく変化します。

しかし聴覚は感知した音の特性そのものよりも、音を出す存在の認知に重点が置かれるので、加工され変化した音でもアーティストの存在は正しく認識されます。このために、アナウンス用やちょっとした小さなスピーカーからの再生でも、音楽を楽しむことは可能になってきます。

しかし同時に、再生環境とそこから生まれる再生音が"100%" ではないことも理解しているので、この矛盾を解消し、音に含まれる意図を更に受け取りたいという気持ちが、より100%に近い再生音の追求に繋がることになります。

このためにオーディオ的な音楽再生においては、音を出すものの正しい認知のために、「音質」という言葉で語られるリアリティの再現が、一層重要な事柄になります。


オーディオでは「原音再生」が言われるのに対して、映像で「原景再現」とは言わないことにも、オーディオ機器で聴くことと映像機器で観ることの、特質の違いが現れているのではないでしょうか。(ちなみに、映像では原色再現とは言われます。しかし「色」とは、周波数スペクトルで数値的に表せられるもので、音で言えば周波数特性のような、部分的要素を表す数値的特性です。)


再生機器の進化

音の受け取りと好みには、個人差が存在します。その上に再生音質のリアリティ向上への強い欲求があるために、オーディオ機器は映像機器とは異なり、より個人の感性や感覚に、寄り添うことが出来る進化をしてきました。

蓄音機のような初期の音楽再生機器は、テレビと同様にオールインワンの形態でした。しかしより良い音を求めてきた歴史の中で、プレーヤーやアンプやスピーカーの様なコンポーネントに分かれて、それぞれが独自の進化をしてきました。

もしもテレビでも、実際に肉眼で見たときの感覚の再現に、大きく拘っていたのであれば、受信・信号復調・ドライブ・表示装置などの、コンポーネントに分かれて進化したのかもしれません。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今回は以上になります。

次回は音楽再生で重要になる、リアリティの再現について書いていきます。次回の記事も、よろしくお願いします。




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