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Music and Sound Quality -6 リアリティと音質

「音楽が持つエモーションをきっかけに、あと少し音楽へ近づくこと。そして、その音楽のエモーションの受け取りが、あと少しでも多く出来る再生音質の実現について、日ごろもろもろと思うところを書いていきます。第6回目です。」

(最初の投稿から1年が過ぎ、内容の見直しと加筆修正をしています)


前回に引き続き、音質について今回も書いていきます。今回は特に、再生音のリアリティと音質の関係を中心に、思う所を書いていきたいと思います。


意図の共有

音質を考えるときに、まずは例えば周波数特性などの、量を測定し数値で表される「音の特性」から考えることも多いのではないでしょうか。その様な音の特性に関するさまざまな測定では、多くの場合は1kHz正弦波などの単純な信号音が使用されます。

一見正確に見えるそのような機械的信号の音も、実際は再生条件により再生音の音色は変化します。しかし通常は、そのような信号音の音質評価に、労力やコストをかけるに値する興味も感じなければ意味も持たないので、信号音に関しては周波数や振幅レベルなどの、定量的指標による定義で事足ります。


一方、音楽では感情やメッセージを伝えるために、楽器や声で音を操り組み立てていきますが、その行為のベースには、人の感性や意思や意図が存在しています。そして、そのような意思や意図と言うものは、信号音の場合では測定限界以下で無視できるレベルの、極めて微細な音の変化からも伝わるもので、また聴く人も無意識であったとしても、それらを感じ取っているものなのです。

そのような音楽の音質を語るには、その音楽が存在する理由を自分なりでも構わないので意識して、価値を共有する事が前提となります。共有と言っても大袈裟なものである必要は無く、例えば楽曲やアーティストに対する興味だけでも、大きな意味を持ってくるのではないでしょうか。


音質とリアリティの向上について

音楽の伝達では、そのような価値の共有を前提としているので、当然受け取る側の感性も重要な要素になってきます。

それならば自身の感性のまま、再生音を変化させて楽しめば良いのではないか、という意見があるかもしれません。あるいは、音楽には再生音質に関わらず伝わる強い力があるので、音質には特にこだわらずに伝わるものを受け取っている、という意見もあるかもしれません。

これらはリスナー視点では一つのもっともな意見で、もしかすると音質なんてものには、さほどこだわる必要がないのかもしれません。音質が悪くても世界が滅びるわけではないのです。


しかし一方、オーディオ的価値の視点で考えるならば、アーティストが意図した音を再現することで、アーティストとリスナーのコミュニケーションを図り、エモーションの受け取りによる音楽体験の質を高めることが意味を持ってきます。

そのためには、自身がどのような音質の実現、リアリティの再現、あるいはエモーションの受け取りを目指すのかを、意識することが重要になってきます。「質」の具体的イメージを持たずに、音質を定量的指標のように扱ってしまうと、結局は何も得られずに終わってしまうことが多いのです。

原音再生

その様なオーディオ的な考えの流れの中では、製作者の意図に忠実にありたいという願望から、しばしば「原音再生」、あるいは「原音に忠実」という言い方がされます。そしてその言葉は高級機の証として、何の疑いもなく受け入れられることも多いのではないでしょうか。

しかしそれらのほとんどは、実は製品セールス上の誇張されたレトリックであって、実際は「本当の音に出来るだけ忠実な再生をしたい」という、ぼやっとした希望や概念に過ぎないことが多いのです。


原音再生が難しい理由には、原音という言葉に一定の定義が無く、人により考え方が異なることも一つのポイントです。

更には音源制作では、さまざまな音を加工し信号上で混ぜていく過程で、整理のために切り捨てる音がどうしても出てきます。原音が、より生の音に近い物だと考えているのであれば、これはそもそもオーディオの限界に関わる話なのかもしれません。


しかし更に考えていくと、音とはそれが発せられた物や環境で決まる、固有のものだということが意味を持ってきます。音楽再生とは、発せられた音が収録マイクに入ってから、再生スピーカーの音が耳に到達するまでの各要素において、性能という限界と固有特性を持った工業製品を用いて、音を出来るだけ似せていった結果の積み重ねで出来た音を聴くということなのです。


さらに言えば、生の音ではさまざまな音の要素がそれぞれの位置で発せられ、時間・強度・位相・経路の違いを持って、左右それぞれの耳に到達します。一方の音楽再生では、さまざまな音が、もともと2ch信号に振り分けられています。そして、それらが左右2か所のスピーカーから発せられ、左右の耳にそれぞれ差を持って到達します。そしてこれらの音が脳内で合成され知覚を騙した結果、ファントムイメージとして疑似的に音像を把握します。

この疑似体験で、定位と呼んでいる左右の位置の再現は出来たとしても、固有の形状と材質で出来た実際の楽器がそれぞれの位置で鳴り、固有の形状空間で反響し耳まで届くという体験と、決して同じものではありません。

このことは、たとえスピーカーの数が増えたとしても同じで、そもそも音楽再生とはあくまで疑似体験なのです。また近年3Dオーディオが注目されたりもしていますが、定位と音質は別の価値であり、定位感の向上だけでリアリティの追求は出来ないものなのです。


一般的には、「音の完全な再現は可能」という前提で、考えてしまうことが多いかもしれません。しかし性能という限界がある機械を使い、簡易的に音楽を聴くオーディオというもので、原音が持つ幅広い音の完全再現は、そもそも不可能なものだと考えた方が良いでしょう。

原音再生とは、「理想的音響システム」などと同じように、概念的な存在なのです。また、プロ用モニター機器ならば、原音再生が可能と考えるかもしれません。しかしそれは、制作時に音の各要素を分解し明瞭に描き分け、音を監視=モニターする観測機器であり、原音再生するというものではありません。


リアリティの再現

原音再生が難しいと言いましたが、それでは良い音とはどのようなものなのでしょうか。

一つ確実に言えることは、それは再生音を聴く人が、元々音を発したものを把握するだけではなく、実感としての「リアリティの再現」ができる音のことです。


リアリティ再現度を向上することで、エモーションを通した製作者の意図の伝達も、一層向上することになります。この時に"リアル" を知らずに、再生音だけからリアリティを感じることは出来ません。そのためには、そのアーティストの表現を実際に感じ取る経験をしていることが重要になってきます。

もちろん完成された音源を、一つの作品として完結して楽しむことにも十分な意義があります。しかし、再生音を聴いた時に比較基準にするリアルな体験にも、程度の差が存在します。再生音質の向上を行うには流用のリアリティではない、アーティスト本人の生のパフォーマンスを通してより直接的なリアリティを確立し、あるいはアーティストや楽曲のバックグラウンドを知って精神的な結び付きを作り、再生される音楽への共感の質を高めることが効果的です。


精度が高いオーディオシステムで音楽を聴いた時に、「まるで目の前に演奏者がいるみたいだ」、という感覚を持つことがあると思います。これはまさに、誰かの演奏あるいは音を発するものをどこかで実際に見聞きした経験があり、リアリティを体感しているからこそ生まれてくる感覚なのだと思います。

その体験を、アーティスト本人による本物の体験で上書きしてみましょう。

そのようにしてリアリティを高めた後に音源を聴くと、その時の体験が蘇ることで、何もせずに聴いた時には気付かなかった表現のリアリティから生まれる、自分なりのエモーションの受け取りが出来るものなのです。


リアリティ再現のリアルとは

音を聞くときは、音の発生源の存在や存在の理由の認知が重要であり、その認知は多少変化した音でも行われることは前に述べました。どのような音であっても、本物を認知することは可能なのです。

ですので、ここで言っている音楽のリアリティの再現とは、単純に本物を認知することや、サラウンドなどでの音場の再現など以上のことを言っています。

それでは音によるリアリティの再現とは、どのようなものなのでしょうか。例えばドラムや太鼓の演奏の再生で、音色や鋭さや余韻の再現が出来て、楽器の認知ができたとします。

しかしその再生音と、目の前で実際に演奏された音との差を想像すれば、生の音と同等のリアリティの表現を、再生音で実現する事の難しさを感じられると思います。


演奏者の熟練の技とエモーションによって動く筋肉が生み出す、ドラムスティックの細かな動き。そしてそれが固有のチューニングが施され、固有の振動や共鳴を持った大きな物体であるドラムやシンバルに打ち付けられ、それにより引き起こされる空気振動の伝播というものを、他の音情報とミックスされた音楽信号使って機械で表現する困難さは、なんとなくでも想像できるのではないでしょうか。


原音そのままのリアリティは、いくらオーディオを追求したとしても、再現することは困難です。また音楽再生からリアリティを感じる要素は、音を発するものの存在認知とは異なった尺度を持ち、人によって個々の要素の優先度も異なります。

そのために、音楽再生では完全一致のリアリティを目指すのではなく、さまざまな音の要素の中から自分にとってのリアリティ再現に重要な要素を認識して、その音質を上げていくことで、心により近い所での受け取りが可能になります。

そのようにして再現されるリアリティによるエモーションの伝達こそが、音による存在の認知を超えた、音楽再生の付加価値なのではないでしょうか。

その未実現な再生音質に満足するのもしないのも、すべてはリスナー自身の満足次第なので、「xxは絶対にxxでなければならない」などというありがちな言い方は、単なる自己満足の押し付けと言えるのかもしれません。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次回は音質を認識することについて、もろもろと書いていきますので、よろしくお願いいたします。






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