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Music and Sound Quality -11 音楽体験と音質改善

「音楽が持つエモーションをきっかけに、あと少し音楽へ近づくこと。そして、その音楽のエモーションの受け取りが、あと少しでも多く出来る再生音質の実現について、日ごろもろもろと思うところを書いていきます。今回で最終回になります。」

(最初の投稿から1年が過ぎ、内容の見直しと加筆修正をしています)


音楽体験深化と音質向上

このコラムでは「音楽を楽しむこと」と、その音楽を「より良い音で聴くこと」という二つの事柄が同じレベルでリンクし、音楽体験が深化することを目指してきました。

しかし時としてそのバランスが崩れ、例えば高音質音源の再生音質を確認することが、関心の中心になってしまうようなことも起こります。

もちろんオーディオは一つの趣味として確立した分野であり、個人的な趣味としてのオーディオ追及を否定する意図はありません。

しかしさらに音楽に近づいて、より深いところで共鳴する音楽体験を求めるのなら、音の特性部分に過度に頼ってしまうことが無いようにしながら、個人的な音楽体験の深化と、使用する音響機器環境の音質向上が結びつくことを目指したいと思います。


一つの音質体験

最近の収録・制作機器や環境の大幅な進化に伴い、良い音質の作品がとても多くなっています。そのような現代的なテクノロジーが生み出す音質とは、一味異なった高音質演奏・録音として世界的に有名で、皆さんもこれからどこかで聴く機会があるかもしれない、デモ定番的曲を次に紹介します。


Rebecca Pidgeon の 「Spanish Harlem」 です。

この曲ではシンプルながら豊かな音構成、ナチュラルな音の良さの雰囲気が豊かに収録されています。空気が声帯を抜け発せられる声の質感と反響、かっちりとしつつ深みがありディテールを持ったウッドベースの音、ピアノの音色と余韻、バイオリンの音像と作り出される音空間のアウトライン、スパニッシュギターの甘いストロークの音色、シェイカーのキレと一振り毎に異なるディテールなどが印象的です。

しかし、そのような音だけにフォーカスすると、まさに音楽をツールとして、共感も無く扱ってしまうことになりかねず、そもそも心に響くには至らないのではないでしょうか。しかし、Rebecca Pidgeonが歌うこの曲が広く愛されているのには、それなりの理由があるはずなのです。


この曲に登場するスパニッシュハーレムはニューヨーク・イーストハーレムにあり、そこはマンハッタン屈指の高級住宅街であるアッパーイーストサイドに隣接した地区で、富と貧困が交錯する場所でした。

この曲のオリジナルは、現在よりももっと厳格な格差があった1960年代初頭に発表され、その貧しいハーレム地区に咲く薔薇のような女性を歌ったものです。そしてオリジナルの歌詞は多分に富の側から、その女性を花として表現したものでした。

女性であるRebecca Pidgeonが後の時代に歌ったこのカバーでは、モチーフが人としての一人の人としての女性であることを、歌詞の言葉を少し変えるだけで、よりニュートラルな視線で表現しているように感じられるところも興味深いポイントです。また人通りの少ない、ハーレムのストリートで反響する音のようなボーカルのリバーブも、とても趣深く感じられます。

ここで描かれているような世界との、共感につながる実体験を持たない我々が、どのようにすれば概念だけではないリアリティを感じられるのか、という部分も考えながらこの曲を聴いてみて下さい。

Rebecca Pidgeon の  "Spanish Harlem" を

spotifyで聴く / apple musicで聴く / amazon musicで聴く


音楽から何を受け取るのか

次にアメリカのオーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント」から、マイケル・ケテラー(Michael Ketterer)のビデオをYouTubeで見てみましょう。

カリフォルニア州に住む、40歳の小児精神科看護師マイケル・ケテラーは、奇跡的に命を授かった娘に、ホームレスの子や脳性小児まひの子など5人の養子を加え、6人の子を育てる父親です。

彼はその番組に応募した理由を聞かれたときに、
 「私の家族、それが私が今ここにいる理由」
 「人が何とか生き抜こうとしている時、夢を見ることなんてできない」
 「彼らに家と自由に夢を見ることのできる、安全な環境を提供することが、私の人生の大きな意味です」
 「もしおやじが夢を全うすることができるならば、不可能な事なんてないということを、子どもたちに自分の姿で示したい」
と答えています。


マイケル・ケテラーのビデオを YouTubeで見る


自由になって受け取ること

音楽の楽しみ方に唯一の正解というものはなく、また楽しむことを自分の身丈以上に、難しくする必要はありません。

マイケル・ケテラーのビデオが収録されたときに、その会場にいた大勢の人と同じように、その時に自分に伝わるものを、ただ素直に受け取ることが何よりも重要なことだと思います。

それは「音」だけを切り離して考えるものではなく、またアマチュア・インディーズ・メジャー・ジャンル・評価・人気などのレッテルが求められるものでもありません。


次にマサ フクダ氏が指導するOne Voice Children’s Choirが、30秒の残響がある防火水槽の廃墟で歌う、「When Love Was Born」のビデオを見たいと思います。

もちろんその歌声はとても素晴らしいのですが、それは子供たちとマサさんの間の深い信頼と愛情があってこそのものだという事が、このビデオの映像からも強く伝わってきます。

以前に鼓膜を揺らす音を、全て聴けるわけではないと書きました。同時に、このような関係、あるいは気持の共鳴があって初めて生まれる音、そして脳が知覚できる音もあるのだと思います。


One Voice Children’s Choir  の  "When Love Was Born"  を YouTubeで見る


音楽との距離感

音楽を作り出す時には、強いこだわりや主張が必要になることも多いと思います。一方、音楽から更に多くのものを受け取る時には、心にある「音楽の窓」を開け放して、風通しを良くしておくことも重要だと感じています。アーティストも自己へのインプットにおいては、そのようにするのではないかと思います。

世間や評論家が良いというものを、自分も良いと思うことで安心感を得ることや、逆に他人との嗜好の違いで、自分の存在を確認し安心すること。これらのことは有用な部分もありますが、同時に行き過ぎてしまうと、本当に自分に合うものが分からなくもなります。

もしも、例えば自分自身の中に過度な固定概念や拘り、あるいは音楽による自己アピールや自己陶酔などがあるのならば、一度それらをリセットして、自分自身により近いところでさまざまな音楽コンテンツが持つエモーションを、素直に受け取り楽しみたいと私も日々思っています。それが「音楽に近づく」ために、求められることなのではないかと思います。


ライブ表現と作品表現

作品としての音源と、表現としてのライブパフォーマンスには、それぞれ違った良さがあります。

音源には技術や構成や表現のロジカルな完成度の高さや緻密さなど、制作の様々な過程で携わる人達の磨き上げられたスキルが投入された、創作活動の完成形があります。そのような細やかな表現を、より正確な再現ができる再生機器で聴くことは、オーディオの大きな楽しみの一つです。

その一方で、携帯電話の小さなスピーカーから聴こえる音割れした音であっても、音楽を十分に楽しんでいる人々も世界には多くいます。そのように音質を越えて心に直接響く音楽の価値は、高音質での再生を求めるオーディオ的な価値とは別の尺度も持っています。


また、音楽には生のパフォーマンスに接してリアリティの共有ができるという、映画などのVisual系のエンタテイメントにはない、大きな強みがあります。

特にアーティストとの距離が近いライブハウスでのライブパフォーマンスでは、アーティストと共演者・スタッフ・オーディエンス・会場など、二度とないめぐり合わせから生まれる共鳴により、エモーションの伝達という音楽の本質的な部分が高められ、聴く者に直接届けられます。その様な場にあるものは、良きも悪しきもリアリティばかりと言えるかもしれません。


音源を聴いてライブに行く。そしてライブを観て音源を聴く。それぞれが補い合って、音楽体験がより濃く体に沁み込んでいくことになります。

今は新型コロナウイルス流行のために難しい状況が続いていますが、いずれ状況が回復した時は、音源再生で良いと思ったアーティストのライブに参加して、出来れば声を出したり体を動かしたりして、自由にその場を楽しむことにもトライしてみてください。

配信形式でのライブも一般化していますが、やはり実際にライブにその場で参加して体験する事とは、体験値に大きな違いがあります。そのような、音源や配信では見えない部分を体験してリアリティを高めたのちに、また改めて音源を聴いてみてください。

体験したリアリティをベースにして楽曲を受け取ることで、その受け取りの質も一層向上してくるはずです。


このコラム連載は、今回でとりあえず一区切りとなります。

音楽に対して誰でもついつい持ってしまう、色々な固定概念や先入観を少しでも分解し、そして人の根幹から湧き出るエモーションをトリガーにして、あと少し音楽へ近づいていくためのきっかけになればとの想いで、今回を含めて11回に分けて書いてきました。


このコラムを通して、あるいは個人的な時間の中で、皆さんがより多くの音楽に接し、少しでも新たな気付きがあったのならとても嬉しいです。そしてその気付きが、音楽の受け取りの深化につながるのならば、とても素晴らしいことだと思います。

このコラムを一つのたたき台として、読んでくださった皆さんの個性で上書きしながら、自分自身にとっての音楽と音を見つけ出していって下さい。

このコラムを読んで頂いた方々には、大変感謝しています。また、いいね!して頂いた方も、本当にありがとうございました。




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