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救いの手を差し伸べるのは、何も神だけではない。 「もう今日は何も作りたくない」 「何を作ったらいいかわからない」 家庭で調理を担当する者は、幾度となく、そういった困難に見舞われるものだ。 そんなとき、ふと、こんな言葉が思い浮かぶ。 「カレーでいいか」 夕飯作りに窮したとき、カレーに救われてきた人は多いはずだ。ありがたいことに、カレーが嫌いな人は少ない。 「また、カレー?」 最初はそう文句を言っていた家族も、食べ進めると何となくおかわりをしてしまい、気が付けば、な
夫がチョコレートを食べている。 箱から一粒取り出し、口に入れ、唇をすぼめて動かしている。歯を使っている様子はない。 夫はチョコレートを、飴のように舐めながら食べているのだ。 まるで合わない入れ歯に苦慮しているおじいちゃんのように、もにょもにょもにょもにょ口を動かしている。 大事に食べているといえば聞こえはいいのだが、見ている方としては、どうもじれったい。 「もうひとつどう?」 私が箱を差し出しても、 「まだ、食べてる」 夫はもにょもにょを続けている。
私が恵方巻というものを初めて食べたのは、20年以上前のことだ。 現在、恵方巻は日本全国に知られる食べ物となったが、当時の関東では、まだマイナーだった。 だが、年末年始にご馳走を食べ、正月気分が抜けたところで、 さぁ、節分! となったとき、食べるものが「豆」だけというのも、寂しいのは確かだ。 三月のひな祭りまで寿司を我慢するよりは、節分でババーンと豪勢に太巻きを食べる方が、活気があっていい気はする。 それに、恵方巻が定着すれば、 「節分だから恵方巻買ってきた