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コロナウイルス奮闘記 #20

カサブランカ

ヒロインと主人公の関係はいったい何だろうと思いながら、映画を見進めていて、そこが一種のミステリーみたいに隠されていた。

二人の間を強く結ぶ音楽があるのもなんかいいなぁ、と。
二人にしかない思い出の一曲とか最高に趣深し。

前半は主人公たちの過去が明かされていくところ、後半では主人公とヒロインのすれ違いが主になっている。

前半では主人公たちの秘密を軸に興味をそそれられながら、それと同時に現在での物語が進行している。後半では現在の物語に十分な惹きつけがあるから、全編にわたって面白かった。


この映画を見た後に、ウィキペディアで調べてみると、ラストシーンは撮影の時点では決めていなくて、撮った後に良い方を選んだという経緯が書いてあった。
このことを知った時に、僕はその事実に感傷的になった。

この事実に対して、ラストシーンを決めていないような作品、監督の姿勢がおかしいんじゃないか、監督の心意気はどこにあるんだと思う人がいると思う。

脚本は監督の魂が込められたものだから、結末は一つ以外はありえないし、魂が込められていないような作品はつまらないに決まっている、という強靭で情熱的な考えを持っている人が俳優だったり映画関係者には多いと思うけど、僕はそうは思っていない。

監督としては、本当にいいものを届けようという信念のもとにそういった手段にたどり着いたのだと思うから、監督のやったことは否定されるようなことじゃないと思う。

僕が感傷的になったのはそこじゃなかった。

僕は、選ばれた結末の優劣の原因は何だろうと考えた。

結末には色んな可能性が考えられる。ハッピーエンドもあるし、バッドエンドもある。
ただ、人間が良いと感じる結末はいつも、主人公が「これでよかったのだ」と思うものだ、と思う。

作家が魂を込めて考えたラストシーンは、作家の独りよがりな思想が入り込む可能性がある。
でも、人間が良いと思えるものは、作家の思想に捻じ曲げられたラストシーンじゃなくて、主人公が「これでいい」と思えるラストシーンだと思う。
観客は、作家に共感しているんじゃなく、物語の主人公に共感しているから。

ハッピーエンドだとかバットエンドだとかは表面的な結果にすぎなくて、人間が本当に見たいものはその裏側にあるものだと思う。

物語は、”事実”ではなくて”真実”を語るものだから。

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