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Baby,it's time-スプモーニ-【小説】

握った手に温度があったことに驚いて
一度差し出した手を引いてしまった。

「何。気持ち悪い?」

感触やら温度やらを間違いだと思いたくて、
タツロウの声にも答えず、そのまま無視して部屋に戻ろうとしたら、後ろから
「あのさぁ」
とタツロウが少し大きめの声を出した。
答えるのが怖くて、ベランダの窓を閉めようとすると、開いている側の窓ではなく、閉まっている側の窓のガラスをすり抜けて、タツロウが入って来た。
ああ、ほんとに幽霊なんだ、と思った。
「あんまり無視してると、ユウリちゃんがお風呂に入って頭洗ってるときに後ろに立つからね」
「それはさすがにいや」
怖さを振り切りたくて、ぴしゃりと音を立てて窓を閉めた。
「何か飲むわ」
「俺は飲めないけど」
「独り言だから、気にしないで。すすめてもいないし」
そうはいいながらも、湯呑みを二つ用意した。焙じ茶を煎れた。
「飲めないって言ってるのに」
「かげ膳ってやつよ」
「それって旅に出た人の無事を祈るってのでしょ」
「そうなの?じゃあお仏壇に毎朝お茶をお供えする時の気持ちよ」
「俺の戒名、聞く?」
「聞かないわよ」
飲めないといった割にソファーの前に置いてあるテーブルに湯呑みを置くと、テーブル前に正座してお茶に口をつけた。
「飲めるじゃない」
「ユウリちゃんにこれ以上気持ち悪がられない為にね」
「なにそれ」
「こっちの話」
「ふうん。そっちの世界はどうですか?」
「うーん。なかなか快適?」
「疑問形なのはなんで?」
「なんでも出来るんだけど、生きてるってのはどういうことかわかったから、もう一度やってみたいって思うけど、同じ場所に戻れないのもわかってるし、でも、そういう気持ちもちょっとずつ忘れてしまうみたいなんだ」
「忘れたくないものなのかな?」
「どうかな。それももうわからない」
手元の湯呑みにお茶がなくなったので、急須にお湯を足してから二煎目を注いだ。タツロウの湯呑みに注ごうとしたが、中身はまだ入っていた。
「生きてたときに覚えたこと、忘れていくの?」
「それは忘れられないみたい」
「忘れたくない?」
「そりゃあね。カクテルレシピとか」
「え?」
「だって苦労して覚えたし」
「カクテルレシピを?」
「俺、バーテンだもん」
「ふうん。じゃあ何か作ってよ」
「え?」
「何か作ってよ」
「死んでから作ったこと、一回もないな」
「レシピ忘れた?」
「忘れてない」
「じゃあ作って」
「…よし。冷蔵庫にあるものみせて」
「それはダメ!」
立ち上がったタツロウを止めようとして席を立ったら、タツロウの湯呑みの中身が空になっているのが見えた。
話してる間に口なんか付けてなかったはずだ。
「ピンクグレープフルーツジュース発見!」
勝手に冷蔵庫を開けて中を物色しはじめた彼の声で、はっとして、薄気味の悪さがすっ飛んだ。
慌てて冷蔵庫の扉を勢いよく閉めたが、あまり効果は無かった。そのまま扉が彼の身体をすり抜けてしまい、結果、タツロウの腰から下が扉から突き出る形になっていた。
「ユウリちゃん、ブルガリアヨーグルト、賞味期限切れてる」
身体をすっと冷蔵庫から出しながら、タツロウは言った。もはや隠し事をするしないの話ではないことに気付き諦めた私は、恥ずかしいのを隠したいのとどうにでもなれという気持ちとで「あっそ」
とそっけなく答えることしか出来ない。
そんな私の様子など全く気にせずに腕組みしたタツロウは、
「買い物に行こう」
と言った。
「いま11:30よ?夜の!どこ行くのよ」
「駅の近くに輸入食料品の店あったじゃない。まだ間に合うよ。あそこでカンパリとトニックウォーター買ってきてよ。あとあったらでいいからさくらリキュール」
「…この辺の住人だったの?」
「違うけど?」
「駅近くのお店をなんで知ってるのよ?」
「ああ。えっと、昔の彼女の家がこの近くで」
「…だったら、その彼女のとこに化けてでりゃいいのに」
「いいから行ってきてよ」
「さくらリキュールって何よ?カンパリも買ったことないからどんなのかわかんないわよ!」
「…カンパリ、買ったことないの?」
「ないわよ。何びっくりしてんの?悪かったわねぇもの知らずで。」
「ふうん」
タツロウの顔を見ると、なんともいえない緩んだ顔でにやにやしていた。
「やらしいなぁ、何にやにやしてんのよ」
「別に。あ、一緒にいこうか、ね?」
「夜中に幽霊と出歩くなんて、不吉!」
「まぁまぁ。そんなカリカリしないの。楽しいじゃないの、駅に出る前に夜桜みれるじゃない。斎藤さんとこの庭から出てるやつ、街灯の下できれいよ?」
「くわしすぎでしょう?!」
「行くよ。コート着て。まだ寒いし」
促される形で家を出て、買い物に言った。
実際、夜桜は綺麗だったし、初めて買ったカンパリのボトルはそのお酒の色で赤くて綺麗だった。さくらリキュールの名前は【ひとひら】というそりゃあ計算されたかのように美しいひびきで、ただ、帰り道で、少し先を歩くタツロウが夜桜を照らす街灯の下で淡く透けていて、全然知らない気持ちの悪い幽霊のはずなのに、その背中を見たらなんだか泣けてしまいそうになって、「いや、生理前だしね」と独り言を言って、そのどこから湧きあがったかわからない感情を散らした。
その日初めて覚えたカクテルの名前はスプモーニといった。
「今日のイメージでさくらリキュールを入れてみたから、サクラモーニかね」
とタツロウは言って、ちっともめでたくないのに、二人で乾杯なんかしてしまった。
流されているな、と思った。
この流れはどこにつくのかな、と思いながら、そのカクテルに口を付けた。

しろくまʕ ・ω・ )はなまめとわし(*´ω`*)ヨシコンヌがお伝えしたい「かわいい」「おいしい」「たのしい」「愛しい」「すごい」ものについて、書いています。読んでくださってありがとうございます!