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既にあるに気づくだけ

こんにちは。
森さわです。
今日はこんなテーマで行きたいと思います。


以前
既にあるに腑に落ちた
というタイトルで書いたのですが
また新しい気づきがあったのでシェアしたいと思います。


既にある
という言葉。

だよね。

で?

って思いますよね。私がそうだったから。


その当たり前の「死角」にあるものを探しにいくのが既にあるに気づくんですよね。


当たり前って死角だらけで
いつもの

おでこにかけたメガネくらいわからない。
鼻の先の小さなホクロくらいわからない。


とにかく


わからないのが当たり前なんです。


ですので「あるを見る」ことはわかっているけど自分は
あるを見れてないダメだなぁ。思う必要はないんですよ。


みーんな死角なんだから大丈夫。


そして今日から簡単に
「あるを見る」ことができるようになります。


それはどんな方法かっていうと・・・。



体を見る


ということなんです。


え?体をみるってどゆこと?



って思いますよね。



頭の上から1つ1つ確認していくんです。



今日も頭が働いてくれている
目が使えている
耳が聞こえてる
鼻が使えてる
口を動かせて
咀嚼できてご飯が食べれてる
喉を使って話ができている

内臓が動いてくれている
・・・・・・・・。


こんな風にですね。


指差し確認するように

自分のルーティーンにしてしまうんです。


これが一番体に染みつくのが早かったです。



今でもやっています。
ちょっと時間ができたとき
バスを待つ時間、インスタを見ずに
目を使えてるありがたい
だから目を休めるね。
(目をつむって労う)
耳を使えてありがたい
だから耳を休めるね。
(自然の音に耳を澄ましてみる)



なんでこの方法をやっているかというと


病気をしたから。


なんです。



病気ってスピリチュアルな意味で
神様からのギフトっていいますよね。


強制シャバットとも言います。
(ユダヤ人に優秀な人が多いのは金曜日の日没から土曜日の日没にかけて完全休みをとっているから)



どんな病気をしたのかっていうと

腰痛&メニエール

です。


激痛で寝ることしかできない
プラス
目と耳が使えない

寝るしかできないのに
スマホが見れない

わけです。


完全に何も見なかったのは1ヶ月くらいでした。


昭和の頃に一気にタイムスリップしました。

動けないから本を買いに行けない。
スマホを見れないからアマゾンで注文できない。


ということは

家にある紙のもの
本📕
ノート🗒️
のみ。


のみ。



のみ。



だったんです。


1日がす・・・・・・・ごい長く。

えーまだ10分しか経ってないとか。


そこで見つけたノートに

小林正観先生の言葉がいくつも書いてありました。

未来の自分がその時書かせたとおもいます。


本当にそのノートがなかったら私は今ここにいないと思います。

そのくらいそのノートに助けてもらいました。


だってすることないんだもん。


ノートを声を出して読む。

ありがとうを1000回言う。
ツイテルを1000回言う。


これを1日何回も何回も繰り返しました。



こんなことがあったから

私は今

目が使えてキーボードを打てて
耳が使えて動画をUPできて


ありがたくてありがたくて
仕方ないんです。



当たり前じゃないんだよ。
ということを神様のギフトとして
教えていただけた。

まじでありがたい!!!!!
感謝。


既にあるに気づくには
体に感謝すると一発で腑に落ちることができますよ。ということを今日はお伝えしてみました。


それでは
あなたの
既にある!

はなんですか?
指差し確認して見てくださいね。


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