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ポストインダストリアル時代のデザイン

お裾分けシリーズ2020第6回。6月22日のゲストは哲学者!デザインと哲学?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、デザインと哲学は切っても切り離せない関係なのです。

改めてゲストをご紹介しましょう。九州大学大学院芸術工学研究院教授の古賀徹さんです。ご専門は哲学。2019年に「デザインに哲学は必要か」という著書を出版されています。

講義のテーマは「ポストインダストリアル時代のデザインとリーダーシップ」。うわあ、面白そう!(って思う人はどれくらいいるんだろ?面白いと思った方、お友だちになりましょう。笑)

いまも残る工業化時代のデザイン思考

資本主義社会の中で大量消費を生み出す根元となっているのがデザイン。持続可能な社会に舵を切った今、デザインの功罪についてデザイン学以外の立場から語られることが増えています。人類学者しかり、哲学者しかり。

一方で、デザイナーからデザインの功罪について語られることは、とても少ない。それは、これまでのデザインを否定することにもなるし、資本主義経済の中でデザインの果たす役割が大きいからです。だからこそ、わたしたちデザイナーはそのことに、真摯に向き合う必要があるのではないでしょうか。

修論のために文献を読んでいくと、必ずぶつかるのがこの問題。わたしはジェンダーをテーマにしているので、いかにデザインが地球環境やマイノリティを無視してきたのかについて考えることになります。でも、マジョリティ側にいると、それをスルーしてしまうのですね。

と、話がずれてしましたが、工業化時代のデザインは、機械による大量生産が前提であり、目的は「できるだけたくさん売り上げて売り上げを達成する」とか「安くて耐久性があってメンテナンスが楽なものをたくさんつくる」といったもの。トヨタやフォードに代表される自動車メーカーは、お手本となる存在でした。

やすい、壊れない、安全性も高い、徹底的に合理的に作っていく。労働者の動きも徹底的に効率化。大事なのはマーケティングによる市場調査。消費者のニーズ第一主義で、ものがつくられていく。

精密化すればするほど無駄がなくなり、枠にはめられた結果、新しいものが生み出せないという問題が生まれています。

工業的なデザインと有機的なデザイン

工業的なデザインが行き詰まっているのは、有機的なデザインが忘れられているからではないかとのお話。定義を見てみましょう。

有機的 運動の原因が個物の内部にある 
機械的 運動の原因が個物の外部にある

つまり、工業的デザインと有機的デザインは対極にあるのではなく、それぞれに内在するものとして捉えられています(これについては、詳しくお話ししてくださったのですが、噛み砕いて説明するのに時間がかかりそうなのでまた今度)。

そして、ポストインダストリアル時代には有機的デザインが重要となり、それに伴って指導者像も変化するだろうと、古賀さんはおっしゃいます。

工業化時代 Critica としての指導者=ゴーン型、知性優位
・目標を定め、人々を動機付け、工程を管理する。
・状況を客観的に理解するためのデータ、科学的根拠を提示する。
・中期目標、中期計画、達成度評価→大学の人事評価
・報酬と処罰(信賞必罰・法治主義)

これが次のように変化します。

ポストインダストリアル時代 Topica としての指導者=助力型、身体性優位
・状況を全体的に理解し、問題を解決しうる〈鍵概念=第三項〉を提出する。
・共通感覚に第三項としての言葉〈論拠〉を与える。
・全体を活かすような最適点(中庸)を探る。
・全体が活きるような第三項としての身体 = 機嫌よくしておくのが仕事

「鍵概念=第三項」とは、「うまくいってないよねというときに、ある手をとると全体が生き生きしはじめる、つながっていく」鍵となるもの。身体性の次元で、無意識的判断ができる指導者が求められていくということ。

対比されてよくわかるのが、よくも悪くも、ハナラボはCriticaではなくTopica的な存在なんだなあと。だから、インダストリアル時代では理解されづらい・・・そう思うことに・・・していいですか・・・

残念なことにアカデミックの世界でも、科学的な根拠を要求されます。いつかそれも変わっていくのでしょうかね。

鍵概念=第三項

さて、古賀さんからの問いです。みなさんの答えはいかに?

要素の全体を繋げて活かすような〈第三項=鍵〉を提示する工夫、デザインや行為の事例を考え、それを150字以上200字以内で説明して下さい。(失敗例も可)

ちなみに、これがわたしの答えです。

女子学生を対象とした、地域課題の解決に挑むプロジェクトを開催した時のこと。初めてのプロジェクトで準備が間に合わずテンパっていたら、それを見た参加者が主体的・自主的に動き出した。それまで先回りして準備しすぎていて、参加者の主体性を奪っていたことに気づいた。そのときから見守りつつも、「先回りして準備をしない」ことを大切にしている。

鍵はもっとたくさんあるはず。さあ、修論にまとめましょう!(がんばれ、自分)

このnoteは、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論のお裾分けシリーズです。

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