大徳寺納豆作りと麹菌 7 内田華子 2024年9月15日 23:47 大徳寺納豆は京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の総本山で作られている中国大陸の豆豉を源流にした大豆の発酵食品。大豆を麹にして塩蔵した豉(シ・くき)と呼ばれた塩辛納豆は奈良時代には醬(ひしお)と並んで都の貴族達の間で親しまれていたが、江戸時代には大徳寺納豆と浜松の浜納豆を残し他所ではあまり聞かない。お隣の唐から伝わったから唐納豆(からなっとう)とも呼ばれるが、大徳寺納豆は豆豉とは味わいも様相も少し異なる。 6年ほど前、静岡の友人から浜納豆をいただきその美味しさに魅了され再現を試みたことがある。浜納豆は豆の形状を残した豆豉に近い。一方、大徳寺納豆は豆の原形がほぼなくその作りは真夏に大豆を茹でてはったい粉と合わせて麹にする。真夏に豆麹を作ることは枯草菌に汚染されるリスクが高く難しい。出来上がった豆麹を塩水に漬け、炎天下で毎日掻き混ぜて作るまさに禅寺の修行。なるほどこれで豆の形が無くなるのだ。大徳寺納豆は豆味噌に通じる独特の酸味があり、卵掛けご飯にトッピングして食べると非常に美味しい。 有難いことに発酵友達から各所の大徳寺納豆をいただく。それぞれ形状も味も異なり、中には味噌を丸めたようなものもある。右から時計周りに大徳寺正門前の松田老舗、大徳寺塔頭の瑞峯院、家付きの菌で作った自作の一年もの、大徳寺塔頭の真珠庵。同じ寺納豆でも一休寺納豆は純粋培養の種麹で作るそうだが、寺付きの天然菌で作るところも残る。長年そこに住み着いた菌で作ったものは旨味が強く感じられる。継承の形が残せているのはお寺さんだからなのかもしれない。 昨年の夏、大徳寺の塔頭である真珠庵を訪ねることが叶った。仕込み作業はこれからというタイミングだったがご住職自ら庵内を丁寧にご案内くださった。真珠庵は一休宗純禅師(1394〜1481)を開祖として、その遺志を継いだ堺の豪商や弟子達により延徳三年(1491)に創建された。一休さんが伝えた大徳寺納豆の作りを守り毎年祇園祭の頃から作りを始めているという。 まず客間に通され、お抹茶とお懐紙にはこし餡のお菓子と真珠庵で作られた大徳寺納豆。そして特別に20年もののウルトラヴィンテージ納豆をいただく。ところで納豆と聞くと枯草菌による糸引き納豆を思い浮かべる人が多いと思うが、お寺の納所(台所)で作られた豆の食品を納豆と表す。大徳寺納豆は寺の納所で作るから寺納豆とも呼ばれる。真珠庵では茹でた大豆とはったい粉を木箱に広げて台所の箪笥に収めて麹を育てる。特別な麹室ではなく暮らしの場で作られることを拝見させていただき、とても嬉しくなった。 中央の何似塔(かじとう)に室町時代作、有髪の一休禅師の立木像が安置されており参拝させていただいた。我が家の大徳寺納豆が美味しく出来るようご祈念した。 ご住職が学僧であった16歳の頃作られた竈門。これで大豆を茹でるとのこと。ご住職の趣味は竈門作りなのだ。 帰り際、そろそろ仕込み時期だからと納戸から仕込み桶を出して見せて下さった。寺付きの菌が花を咲かせているのがわかるだろうか。ご住職の優しいお心遣いが有り難く心に沁みた。京都大徳寺の蝉時雨と息が苦しくなるほどの蒸し暑さと温情を心に深く刻んだ夏。山田住職様、大変ありがとうございました。 さて、今年の大徳寺納豆作りは友人達にも味わってもらいたく、純粋培養の種麹を使うことにした。こうせん粉が手元に無かったので大麦を自家焙煎して粉挽機でガリガリ挽いて作った。 大豆はもちろん仲間と育てたミヤギシロメ。何度見ても豆麹は可愛い。枯草菌に侵されないように祈りを込めながら浅く広げて作る。 信州松本の萬年屋味噌さんから譲っていただいた麹蓋。ひと目見てこれは豆麹に使うと良いに違いないと思っていたが、案の定最適だった。 この浅さが良い。オーブンシートを敷いていたがびっしりと麹菌が育っていたのは、もしかしたら萬年屋さんの麹菌が目を覚ましたのかもしれない。真夏の我が家は京都の湿度には及ばないものの、家そのものが麹室。 完成した豆麹を塩水に漬ける。 真夏の太陽を浴びせ日々掻き混ぜて行くと、次第に水分が抜けてポロポロに。色も明るい茶色からメイラード反応を起こし黒く変色してくる。盛夏に行う速醸豆味噌は、太陽のエネルギーが閉じ込められているように思う。最低でも11月末まで熟成をかけるそうだが、一年は寝かせたい。味噌醤油と並んで毎年作って行きたい大豆の発酵食品だ。 #発酵 #大徳寺納豆 #唐納豆 7 よろしければサポートいただけたら嬉しいです。頂いたサポートは次なる執筆の活動経費に大切に使わせていただきます。 サポート