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仕事先でのこと。

そこはまるでアニメに出てきそうな田舎で、
山と海と空に囲まれた立派な瓦の日本家屋がぽつんとたっていた。

仕事で初めて訪れた私をにこやかに家に招いてくれた社長夫婦に、私は戸惑っていた。
人と話すがお世辞でもうまいと言えず、とてもあっているとは思えない営業の仕事もずるずると3年目に突入。未だになぜこんな部署に配属したんだと人事を恨めしく思いながら働いている。

正直憂鬱な気持ちで規則正しく進む掛け時計の秒針を見つめた。

席につくと、奥様が田舎ではなかなか見ない綺麗な青いグラスに冷たいコーヒーを注いで出してくれた。ストローもささっており、喫茶店のようだ。コースターについた椿のちりめん細工がかわいらしかった。

上司が横で饒舌に話している。
私は分かったような顔をしながらにこにこ微笑んでいた。
そんな時、なんの話の流れだったか、
奥様と社長が海外旅行の話をし始めた。
「あのときはオーストラリアとニュージーランドに行ったんよな」
「ジェットがついた船に乗って、川の上をすべるようなかんじだったのよ!あれは本当に面白かったよねぇ」
お二人はまるで今体験しているかのようにその旅行の内容を細々と教えてくれた。

ニュージーランドは暖かいイメージを持たれやすいが、実は氷山だらけのとても寒い場所があること、10日間ほど過ごす中で日本食が恋しくなってラーメンを食べたこと、行く前に買っていた新品の水着が、天気が悪く着れず、その後も着れないままになっていること、、。

扇風機の回る音と鳥の声しかしないこの場所で、まさかこんなに詳しく南半球の旅の話を聞けるとは思わず、私は引き込まれてた。 

お二人は、車で5分の海に行った時のような軽い口調でさらさらと話されていた。

「ちなみにいつ行かれたんですか?」
上司が尋ねると、
「もう50年も前の話さ」
とからっと当たり前のように笑われた。

70歳近い夫婦が、約50年前の旅行をこんなに詳細に覚えているものなのか。
50年間、家族経営でお仕事は決して楽ではなかっただろうし、衝突することもあったに違いない。20代のペーペーな私には想像もつかない。

けれどもこんなに朗らかにその頃の話ができる夫婦が日本にあとどれくらいいるだろうと思うと、この仕事をしててよかったなと少し感じられた時間だった。


#エッセイ部門