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白い広場

雪国ほどでは無いけれど、じいちゃんとばあちゃんの住んでいる地域には、50cmくらいの雪が一気に積もることがある。小さい頃よく、そんな祖父母の家に泊まりに行っていた。

当時僕の家に居た子とは別に、ばあちゃんの家には犬が居た。普段は庭の端にある小さい犬小屋で過ごす番犬扱いの彼は、冬になると大きい人間小屋の中で過ごすようになる。
外の彼は、それがどれだけ祖父母と仲の良い人だとしても、敷地内に家族以外の人が入れば果敢に吠え続けるのに、家の中にいる時には絶対に吠えない。
おっかないばあちゃんに求められる役割をしっかり理解しているのか、それともなんだかんだ結局は優しいばあちゃんが作る、暖かくて重心が低いこの家の雰囲気が落ち着くのか、外で吠えている時の彼と家の中の彼とでは、まるで性格が違う。
僕たちのことが好きなのと、その小屋が小さくても大きくても、しっぽを隠すように丸まって眠るのが好きな事は変わらないけれど。

僕は、頭が良くて頼もしくて可愛くてかっこよくて少しドジで、楽しく遊んでくれる彼のことが大好きだった。

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雪が降った朝の鋭く澄んだ空気と、少し遠くからじんわりと広がってくる石油ストーブの熱がちょうど僕の布団の上で混ざる。
少し開いている襖の向こう側にある台所から、ばあちゃんが朝ごはんを作っている音が聞こえて、障子の向こうにある広縁の向こう側からは真新しい雪を踏むじいちゃんの足音が聞こえる。

朝ごはんの香りと寒さと暖かさと足音とがないまぜになった空気を布団の中で楽しんでいたら、襖の隙間からひょっこりと彼が現れた。
嬉しそうにリードをくわえて、目が合った途端僕の顔めがけて一直線に駆け寄ってきた。彼は頭が良いから、散歩に行きたい時はリードを持って僕のところまで来てくれる。
僕はそんな彼のお茶目で素直なところが大好きだったし、雪の日に彼とじいちゃんと行く散歩が何よりも好きだった。

無味無臭のじいちゃんの駄洒落を聞きながら、ばあちゃんが作った朝ごはんを美味しく食べて、急いで土間から庭へでる。
じいちゃんが新雪を踏みながら作ってくれていた大きな雪だるまを横目に、はしゃいでグルグル回る彼と雪で遊ぶ。

ようやく外に出てきたじいちゃんと歩き出したいつもの散歩コースにも当然雪が積もっていて、最近腰が痛くなってきたと言うじいちゃんの歩幅に合わせて、田舎の雪道をゆっくり進む。リードを少し引っ張るようにして歩く早く先に進みたい彼も、それでも10歩に1度くらいの頻度で後ろを振り返る。

この道の先にあるとにかく広い畑の広場が、僕のお気に入りの場所だった。冬になるとその畑たちが雪に埋まって、白い広場になる。
あの、まだ誰も足を踏み入れていない新品の白い広場と、そこに着いた途端に視界が大きく広がるあの瞬間がとても好きだった。

じいちゃんはゴルフが好きで、その白い広場に辿り着くと必ず、ゴルフボールを思い切り遠くへ打つ。
色の薄い青空に、真っ直ぐ白い線が引かれる。その小さいボール目掛けて一目散に駆け出す彼のスピードに負けないように、彼と繋がるリードを離さないように、雪に足をとられながらおもいきり走るあの時間が大好きだった。

結局ゴルフボールは見つからなくて、それでも毎回肩を落とさずにじいちゃんのところまで全力で帰ろうとする彼のお尻と、あのどこまでも白い広場で彼と走りながら感じた衝動的な幸せを、僕は絶対に忘れられないだろう。
まだ体が小さくて下手くそな僕が打ったゴルフボールを、すぐに見つけて僕のところに持ってくる彼の得意げな顔も。

あの時の僕はあの白い広場がどこまでも続くものだと思っていて、その無限のような広場が終わる場所にだって、彼となら行けると信じていた。

今でも雪が降った日には必ず、君を思い出す。
もし今度会えたらそのときは、一緒にお散歩に行こうね。大人になった僕に気がついて、リードを持ってきてくれたら嬉しいな。
君はもう、今の僕が打ったゴルフボールを見つけられないと思う。僕はじいちゃんのように腰も痛くないから、ゴルフボールをきっともっとすっごく、遠くまで飛ばすことが出来ると思う。
たまには見つけやすいように近くに打ってあげるからその代わりに、ボールを追いかけて、またおもいきり一緒に走ろうね。


今度こそ、めいっぱい遠く、あの広場の終わりまで。

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