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無駄を愛する

目的に対する無駄な抵抗
これがずーっとひっかかっているテーマで、「目的への抵抗」という本を読んで、すごく納得した部分と消化しきれない部分で、結局このテーマから離れることができない。

https://note.com/hanafuta/n/n56632e48f1ac

いや、正確にはちょっと忘れかけていたのだけど、5年前の自分の投稿が浮上してきて、「読書は消費?目的とか生産性に結びつけないといけないって思いがあるけど、それに違和感とか抵抗を覚えている」って感じのことを書いていて、まったく変わってないじゃんと思い出した。

そもそも、自分が「いけない」ってダメ出ししてる、×をつけているからなのだけど、「目的」が明確でそこに向かって行動すべしみたいなことが、「できていない」自分を低く評価している。一方で、そもそも「目的」ってものが必要なのかという抵抗があるので、邁進できない。

だけど、「やらされている」ことは頑張れないし、従順にはなれない。「何で?」何のためにやるのかを明確にしたいという思いはある。

「充実感のために何かをすること」と「何かをしたこととで結果的に充実感を得ていること」は違う。
夢中になれること、「面白いこと」をしたい。だけど、そのために、、、、って考え始めるとやる前から息切れしてしまう。
結果的に楽しいと思えるためには、とりあえず目についた何かをやってみるしかないのかもしれない。

無駄を愛する。

自分のやっていることなんて意味あるのだろうかって、いっつもここに引っかかる。さらに言えば、自分の存在なんて意味あるのかなって否定だ。それを「ビリーフ」として取り扱って、思考化から根本的に世界の捉え方を変えていくってことももちろんできるし、それをやってきた。
だけど、それだけじゃないのかなって気がしている。

不要不急であるもの。生きるためにどうしても必要ってわけではないもの。
だからといって排除してしまえない。無駄で、余計で、ちょっと贅沢であっても、人が生きる上で「目的」には還元できない「コア」がある。それを守りたいのだ。目に見える分かりやすい一つの指標ではない。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」

マハトマ・ガンジー

この言葉、刺さるなぁ。

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