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ぐるぐるしている場合じゃない

ぐるぐる思考が止まらなくて、とりあえず本でも読みながらさっさと寝てしまおうと思った。そんなタイミングで本に出てきたのが「反芻思考」、まさにぐるぐる思考のことだ。いつもなんでもタイムリーだ。「お前これやってるよ」と教えてくれる。

そっかぁ、改めて「反芻」だと認識してみる。まったく解決に結びつかない思考であることが体験と結びついて痛いほどよくわかる。
さらに、「話すこと」の効用に否定的な心理学者の記述が出てきたのだけれど、その出典元を探し出すことが出来なかった。

「傾聴」「話すこと」の効用も分かる。だけど無条件に「よきこと」ではないというのも実感としてわかる。
似たようなところで「カタルシス」に対しても同じように考えている。

何度も何度も同じ話を繰り返す人がいる。ある程度話してスッキリはするのだけれど、結局また次に会ったときにも同じ話を繰り返す。それは楽しい話ではない。わざわざ苦しかった嫌だった経験を思い出し追体験し続けているのだ。それって、つらくないだろうか。
そこには「忘れたくない」っていう裏テーマがあるのかもしれない。
だから、過去のことは忘れて未来に向かおうみたいな建設的な言葉は忌み嫌われる。「わかってくれない」との思いは、時として怒りとしてぶつけられる。
どこまで「聞くか」、あえて「聞かない」か、そこを見誤ってしまうこともある。こちら側の時間的、心理的な「余裕」にも左右される。

聞いてもらうことの効用ばかりに目を向けていたけれど、無条件に良いよいではなくて、批判的な側面も含めて統合していきたい。めずらしく、知識欲が湧いてきた。

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