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ハッピーエンドの悲劇

今日は出かける予定があったので、昨日読み終えられなかった本『「ちがい」がある子とその親の物語Ⅲ』をあさイチで読了した。

1,2巻をすっ飛ばしての3巻だったけれど、読み応え満点で、特に後半は心に留まるくだりが多かった。
「ちがい」がある子というタイトルに違和感があったのだけど、それも含めて著者が言いたかったことと自分が思っていることが重なって、言語化されたことに安堵した。

「正常」や「完璧」を求めて、そこから外れるモノを認めない。そんな世界で生きられない。
適応するための「擬態」とそのままの自分を上手に使い分けるって、自分を殺すってことだ。
ただ「自分」でいるだけで、批判され、命の危険に晒される。そうならないために「擬態」することは、自分で自分を殺すこと。
「自殺」か「他殺」かしか選べないって、極端にも聞こえるけれど、シビアな現実なのだ。

何らかのちがいをもって生まれた人は、変わらないことを認めることでしか、よりよい状態を望めない。私たちはみな、よりよい自分にはなれても、ほかの誰かにはなれないからだ。

「ちがい」がある子とその親の物語Ⅲ

「変わる」ことを強いるのは残酷なことだ。
「変われない」ことを悪だとして、「正しい」「あるべき」姿があるのだと、みんながそこを目指すべきだという思想はおかしい。
それが例えば「よいこと」だとしても、頑なに「変わること」「変えようとすること」を拒んできた子どもの頃の自分。ずーっと「愚かだ」と思ってきたけれど、どうしても譲れなかったのだと涙が出てきた。

仕方ない。それが私なのだから。

素晴らしいとか、信念とか、本当にそれで良かったのか、生きやすくはなかったけれど、それでも仕方がないとしか言いようがない。

最終章「父」は、筆者自身のなぜこの本を書くことになったのか、そのことによって自身の人生がどう変わったのかが書かれている。
ゲイであること、親になること、それはたった一つの「正解」ではないけれど、筆者自身の経験や思いが率直に書かれていて心に響く。
いろいろ考えさせられることが多くて、自身が親になったこと、葛藤も含めて、読まずに返却しなくって本当に良かった。


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