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まさかの人権、アイデンティティを深く考えさせられる本

昨日、移動中に「ゴリラ裁判の日」を聴いていた。

タイトルから勝手に、くだけた感じ、ふざけた感じの本なのかと思っていたら、まさかの人権、まさかのアイデンティティを問われるようなシビアな内容だった。

カメルーンで生まれたニシローランドゴリラの「ローズ」が主人公。手話を教えられ、人の言葉を理解する。単に「言葉」「会話」の理解力だけではなく、知能や情緒も発達したローズ目線の不思議な世界観が描かれる。

ジャングルでの暮らし、渡米し動物園での生活、そして裁判。
あまりにも「人間」的でありながら、処遇は「ゴリラ」なのだという不思議な感覚。
情緒的な面でゴリラでありながらゴリラの生態よりも人間の感情の機微に共感する場面など、ゴリラであってゴリラでない、人間でもない、そんな揺らぎも描かれている。

動物園のゴリラパークに人間の子どもが落ちてしまい、子どもを助けるために群のリーダーでありローズの夫であるゴリラが射殺された。
「仕方なかった」という動物園の言い分に、夫を殺されたローズは納得がいかずに裁判を起こす。

設定自体奇想天外なのだけど、描かれるローズの成長は、普通に感情移入できる道筋として淡々と描かれている。
「怒り」だけでなく、正攻法の戦い方だけではなく人間世界の裏側や思惑も呑みこんで展開する。ローズの苦悩は哲学的でもあり、この先どうなっていくのだろうと思ったところに、この結末。

自分は何者で、どう生きるのか。
たまたま与えられた環境で、その道を生きるしかないとも言えるが、唯一無二の存在であるのは「特殊」な事情だけでなく、すべての「存在」にとっても同じことが言えるのかもしれない。

ローズに感情移入し、ローズの中に人を見て、自分を見出し、感情が揺さぶられる作品だった。
シビアでありながらも、ゴリラ感やユーモアに笑える場面も多い。
不思議な感覚で、面白い本だった。

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