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恥ずかしいと独り言

自分の行動が恥ずかしいと、独り言が増える。
変な独り言をつぶやいてしまうので、人に聞かれたらもっと恥ずかしい。
自分でもやめたいのにやめられない。
壊れてる。バグってる。
根底にあるのは、「恥ずかしい」と「消したい・消えたい」

そんなバグった頭を鎮めて本日読了した本は「宙ごはん」

幼稚園時の宙には、育ててくれている「ママ」と産んでくれた「お母さん」がいる。
小説だなぁと思う「変わった家族のカタチ」から物語は始まる。

このような「変わったカタチの家族」が出てくるお話を好んで読んでいると自覚している。
それと対比するように「普通の家族」「標準家族」などというのは幻想だよなと思う。
分かりやすい「カタチ」として変わっていなくても、家族なんてすべて固有でユニーク、みんなそれぞれ「変わっている」ものだと思う。

家族の在り方にも、人との関りにも「正解」なんてない。
それぞれの「願い」のすれ違いによって、望んでも得られないものがあり、同じ「家」でも、こちらから見ている景色とあちらから見ている景色は違う。
「同じ」場所で、「同じ」ものを見ていても、感じ方や受け取り方は違う。人それぞれでも、その時々でも、感じ方受け取り方が違う。
「違う」がデフォルトなのだ。

それでも「自分」の「今」の精一杯でしか生きられない。
そんな独りよがりで人と接することが怖くもなる。
すぐに閉じこもりたくなる。
そんな気質をもっているから、積極的に「何か」をしたとき、特に「人と関わったり」「人と話をしたあと」に、なぞの恥ずかしさに襲われて独り言まつりが始まる。

だけど大概、私が想像するよりも、私は世界に受け入れられている。
その時の「本気」で「ほんとう」の言葉を言っている限り、決して悪いようにはならない。
それは失敗がないということとは違う。ただ本当の意味で「失敗」なんてない。

恥ずかしさを感じるのは、人と世界と関わろうと勇気を持った証でもある。
誇らしいじゃないか。
独り言上等。変なこと言ってる自覚もあるけど、まだまだ成長してる。初老でも伸びしろありまくりだ。

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