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何度も何度も原点回帰

遥か昔、学生時代に学んでいた「感覚と運動の高次化理論」
就職先は療育施設ではなかったけれど、対人援助職としてのまなざしの原点であり、何度もここに立ち戻ってくるし、いつも支えられています。
そんな母校の発達臨床研修セミナーに参加しました。何年ぶりだろう?

感覚と運動の高次化理論では、発達のステージを4層8ステージに分類していて、丁寧に細かくその子の発達を見極めながら関わっていきます。
2年間、個別学習と集団場面での臨床実習を行いながら、今は亡き宇佐川先生から理論を学んでいたのは、今思えばとても濃厚で贅沢な時間でした。

実際には臨床場面のように限られた空間で完結するわけではなくて、生活場面全般での関わりや幼児期以降の長い人生、発達の特性だけではなく、生活経験からくる知恵もあれば、こじらせたり、ねじれたりや二次障害など、とにかく目の前の問題対応に追われてしまい、学んだことがどれほど役に立っているのだろう?と思うこともありました。

今回、「意図的なかかわり」のところで、大人の価値観や常識ではなく、子どもの原理原則が出発点であるという視点が重要であると再確認しました。これは相手が「こども」に限ったことではないと思います。大人どおしだと比較的「対等」であるため、そこまで強調されないのかもしれませんが、当たり前すぎるけど何度も立ち戻る原則であり、私自身にとっても譲れない大事な価値観なのです。

良かれと思って、視覚的な手がかりがあった方が良いはずだなど、知識だけで進めるのではなく、必ずかかわりの中での相互作用を振り返りながら進めることが必要なのに、ついつい問題への対処法としての意図になってしまうことが多々あります。

「環境」を整える重要性についても、福祉か心理かではなく、その人全般に対する人、受け止められ方などへの配慮にも言及されていて、私が大事にしてきたことって、すべてここで学んでいたことじゃんと何周目かの気づきを得たのでした。

さらに、医師であり、自閉症児の父でもある大屋先生のご講演からも、本人が楽しめることや生活の幅を広げていく取り組み。良いことばかりじゃないけれど、実際の経験と成長を目の当たりにして綺麗ごとばかりではないけれど、やっぱり人の尊厳ということに心揺さぶられたのでした。

いろいろあるけど、苦しみと共に喜びや楽しさを感じる仕事を続けている私は私なりの道を貫いているじゃないかと思ったのでした。

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