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「だれもみえない教室で」を読んだ

今日も読書日記。
子どもの世界、子どもの気持ち、みんな子どもだったはずなのに、忘れちゃう。でも、忘れてないから、心なのかどこなのか、柔らかい部分がズキンと反応してしまう。そんな柔らかな痛みを感じながら読んだ本「だれもみえない教室で」

子どもの頃の気持ちをどうして忘れちゃうのかって考えてみると、気持ちを置き去りにされる経験を積み重ねていくからで、そんな生々しい経験は「なかったこと」として忘却の彼方のはずなのに、物語を読むと自分の中にも「あったよ」が疼きだす。

気持ちを置き去りにされたまま、わからないままに、表面的な「手打ち」「シャンシャン」が行われている。そんな世界は嫌なのに、そんな世界に適応していく。

気持ちがガサガサして意地悪してしまう。そこにはいろんな背景が隠れているけれど、そんな「事情」を知れば、共感も出来るのだけど、それでもやってしまった「事実」は消えない。やった方もやられた方も、消えない「事実」を抱え続けるしかない。元には戻れない。とてもとても重いこと。

それでも未来が続いていく、続けていくために、やっぱりきちんと気持ちを伝え合わなくてはいけないし、「どう生きるのか」を体現して生きている。

無邪気にニコニコ笑っていてほしい。
そんな「幻想」を子どもに押し付けていないだろうか。

なんだか気持ちが渦巻いてグルグルしている。
子どもって気持ちを揺さぶるモチーフなのだろうか。大人になっても「子どもの自分」が残っているからなのだろうか。
そんな気分と余韻を味わっている。

こんなフワッとエモい感じではなく、クリティカルな文章が書けるようになりたい。

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