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私は、帰れない

映画を観て、少しモヤモヤが残ったので原作を読んだ。

体調不良を言い訳に、なかなか読み始めることが出来なかった。
だって集中力がない。
だって、まだ、疲れちゃう。
なんか気力がない。

出来ない理由も、気が進まない理由も、無限に思いつく。
ただ読み始めてみたら、読み終えた。

映画を観た時に、「帰ってこない」ということにフォーカスをあてて、とても切ない気持ちになった。

本を読んで、反対側に、「私は、帰れない」があったことに思い至った。

人はみんな、ひとりひとり、自分の世界と対峙して生きている。
きっと相手はこう思うだろうと想像することは、所詮、自分の世界に合わせて都合よく創造しているに過ぎない。
答え合わせもできない、対話をすることもかなわない、大切な相手だからこそ、知ろうとか分かろうとかすればするほど苦しくなる。

確かに存在したのだということ。
一緒に過ごしたこと。
何かをした、言ったという事実だけではなく、そこで共有した空気。そこに生まれた感情とかエネルギーの交換。
そんな言葉にならない、カタチに残らない何かは、それでも確かに、それぞれの身体に心に、自分の世界に刻み込まれる真実となる。

主人公が、友人と何気なく交わした会話を思い出した時、その正確な場面は何も思い出せなくても、確かに彼女がいたこと、自分の中にいたことに気付くシーンが印象的だった。

こんなところにいたの、と胸の内側に呼びかける。血の一しずく、骨の一かけら、私を生きる方向へと押し出す、意識にすら上らないほんの数秒のうねり。
とても、とても久しぶりに、彼女に会えた。

「やがて海へと届く」彩瀬まる

自分が弱っているからなのか、読みながら、終始涙がじんわり滲んでくる。
この感じ、この感覚をもっと的確に表現できれば良いのだけれど、やっぱり言葉にはならない。
こういう感じを繊細というのかもしれない。
私の中の繊細さを刺激された本。


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